「近隣窮乏化策」反対を明言=ベッセント財務長官
トランプ政権で通貨政策を担当する財務長官のベッセント氏は、最近のあるインタビューの中で以下のように発言していた。「我々は米ドルが強いことを望んでいる。我々が望まないのは他の国が自国の通貨を弱くすることや、貿易を操作すること。自由な形の貿易システムは存在しない。為替レートがその一因となっている可能性があるほか、金利抑制が要因となっている国もある」。
ここで「我々が望まない」と述べている「他の国が自国の通貨を弱くすることや、貿易を操作すること」は、基本的に「近隣窮乏化策」と呼ばれるものだろう。具体的には自国通貨安に誘導し近隣諸国より輸出競争力を優位にすることでいち早く景気回復を目指すものであり、代表的な国際ルール違反として知られている。つまり、ベッセント財務長官は、「近隣窮乏化策は望まない」ことを確認したという意味になりそうだ。
ここ数年の日本の歴史的円安は、アベノミクスでデフレからの脱却を目指すための異次元緩和を受けた諸外国より著しく低い金利が主因だった。そのような円安の放置は、「近隣窮乏化策」を疑われる可能性のあるものだった。ベッセント財務長官が「近隣窮乏化策は望まない」ことを確認したということは、日本の円安阻止・是正策に注目している可能性があることを感じさせるだろう。
「強い米ドル」政策と折り合いつけるレトリック
「強い米ドルは国益」との方針を掲げながらも、本音では米ドル高は望まず、むしろ米ドル安を望んでいるというケースはこれまでもあったと見られる。ではそのようなケースで、時の米政権はどのようなレトリックで対応したかについて、以下の2例で振り返ってみる。
「貿易不均衡是正に第一に有効なのは円高」
まずは1993年にスタートしたクリントン政権のケース。同政権は東西冷戦時代終了後の最初の政権となったことから貿易不均衡是正を優先課題に位置付け、このため本音では米ドル安誘導を目指していた可能性があった。こうした中で、政権与党民主党の大物政治家だったフォーリー下院議長は、「強い米ドルではなく、弱い米ドルを望むのか?」という記者からの質問に対して、「強い円を望む」と発言した。
その上で、1993年4月に行われたクリントン大統領の初の日米首脳会談では、終了後の記者会見でクリントン大統領自らが、「貿易不均衡是正に第一に有効なのは円高」と述べた。以上から分かるのは、「強い米ドルは国益」という伝統的方針は変えないまま、本音として米ドル高の阻止・是正を目指している場合は、相手国通貨、つまり円などに対して通貨高を要求するというレトリックを使うことだ。
こうした中で、クリントン政権が発足した1993年1月当時125円程度だった米ドル/円は1995年には80円まで、1米ドル=100円を超える「超円高」となった。その後米ドル/円は反転すると、1998年には150円近くまで米ドル高・円安に大きく戻すところとなった。
「強い米ドルは国益だが、それはすでにかなり長く続いている」
これに対して当時のルービン財務長官は「強い米ドルは国益」という発言を呪文のように繰り返した。やがて、1997年11月頃から、130円を超えて米ドル高・円安が進むようになると日本の通貨当局は円安阻止の米ドル売り介入に動き始めた。そうした中でルービン長官の「強い米ドルは国益」発言は、米政府の米ドル高容認のサインとして米ドル買いの口実にされるようになった。
するとルービン長官は、「強い米ドルは国益だが、ただそれはすでにかなり長く続いている」と述べて、「強過ぎる米ドル」をけん制に動いた。これもまた、「強い米ドルは国益」の方針を下ろさずに、本音では米ドル高を望んでいないケースで使われたレトリックといって良いだろう。
以上見てきた2つのケースは、今回のトランプ政権においても参考になるのではないか。「強い米ドルは国益」の方針を掲げながらも、本音では保護主義の観点からむしろ米ドル安への期待が強いのがトランプ政権の立場なら、通貨政策の折り合いとしては、貿易相手国通貨の上昇を要求する、または「強過ぎる米ドル」は求めないことを明確にすることになる可能性が高いのではないか。