週末に、京都で、アメリカ、ヨーロッパ、そしてアジアから様々な人が集まった会議で、AIその他我々を取り巻く重要な事柄を議論したのですが、その中のひとつが「日本」でした。京都で話したせいもあって、日本はいいところ一杯あるよね、でもなんで日本のイノベーションや成長は止まっているのだろう、みたいなことも議論されました。私は、いや日本は遂に変化を始めているのだ、そしてその理由は、と説明したのですが、どこか噛み合わない部分もあるように思われました。何故でしょう?

それはやはり言葉の違いではないかと、私は感じるのです。今はAIを使えば翻訳はほぼ完璧に出来ます。GPT5、GPT6の時代になったら、同時通訳も実現するでしょう。そうすると言葉の壁は大きく崩れ、誰でも侃々諤々と議論できるようになるかも知れません。しかしそれでも尚、どこか噛み合わない部分が残るのではないかと思います。何故なら人は言葉で考えるからです。

日本語で考える時の論理の帰結と、英語で考える時の帰結は違ったりします。分析も然りで、英語で日本を分析するのと、日本語で分析する場合の理解とでは、どうしても違いが出ます。これは世界中のどんな国・言葉でも同じことが云えると思うのですが、特に日本の場合は、テキストや数字に表せられない膨大な背景や雰囲気と共に文化・文明・社会が成り立っているので、言葉に頼ったコミュニケーションをすると、どうしても伝達ロスがあるように思います。

でもだからこそ、言葉だけは完全に操れないといけないのかな。京都の国際会議はとても楽しくて充実したものだったのですが、それが故に、もっともっとコミュニケートしたいと思うに至り、本当に久し振りに(何十年ぶりかも知れない!)、英語なるものをちゃんと訓練しようかなぁ、などと思ったのでした。まだ決意してませんが!