今回の円安に似ている40年前の円安

まずは、1980年以降の代表的な円安について確認してみよう。その中の1つが、上述のように1982年にかけて280円程度まで米ドル高・円安となった局面だった。続いて、1990年にかけて160円まで米ドル高・円安となった局面、さらに1998年の147円までの米ドル高・円安。また2000年以降では135円まで米ドル高・円安となった2002年、124円までの米ドル高・円安となった2007年、そしてアベノミクス円安のピークとなった2015年の125円までの米ドル高・円安だ(図表参照)。

【図表】米ドル/円の推移 (1980年~)
出所:リフィニティブ社データをもとにマネックス証券が作成

今回の円安は、米国が約40年ぶりの本格的なインフレを迎え、その対策である高金利政策が米ドルの大幅高をもたらしたことから、その裏返しとして起こっているとの位置付けが基本だろう。その意味では、約40年前の米国の本格的インフレ局面に似たような因果関係で起こったのが、1982年にかけて280円程度までの米ドル高・円安だったわけだ。

こういった局面では、米国のインフレ是正が最優先課題となるため、その結果として起こる米ドル高、そしてその裏返しである円安とも制御困難なままにオーバーシュートしやすい。

1980年代前半の場合は、米ドル高・円安こそ、1982年の280円程度でピークを打ったものの、その後も行き過ぎた米ドル高・円安圏での推移が続いたことから、日米の貿易不均衡の著しい拡大をもたらす一因になったという見方が広がった。

その貿易不均衡を是正するために、行き過ぎた米ドル高・円安の抜本的な是正を目指したのが1985年のG5(先進5ヶ国財務相会議)プラザ合意だった。これを受けて、1985年当時に250円以上で推移していた米ドル/円は、ほんの1~2年で120円まで、要するに半値以下へ大暴落となった。

このように行き過ぎた相場は、それが一巡した後の反動も大きくなりやすい。それは、行き過ぎた相場が、別の経済的な課題、上述の1980年代半ばにかけては日米貿易不均衡拡大をもたらし、新たな課題への取り組みが行き過ぎた相場の修正を加速させる影響が大きかったのだろう。

この点、今回が1980年代と著しく異なっているのは、多くの人たちが既に気付いているように、行き過ぎた米ドル高・円安でも、日本では貿易収支の黒字化どころか、むしろ赤字が拡大していることだ。これを見る限り、1980年代のように、米インフレ対策が招いた行き過ぎた米ドル高・円安は、それが一段落した後、今度は日米貿易不均衡是正のために米ドル/円の大暴落に激変するといったことを今回繰り返す可能性は低いだろう。

私はセミナーなどで、日米の経済構造の変化により、米ドル/円は以前より「円高になりにくく、円安になりやすくなっている」可能性があると述べてきたが、その大きな理由は日本の貿易収支の変化だと思っている。

ところで、1990年にかけて160円までの米ドル高・円安となった動きは、既に述べてきたプラザ合意で120円まで米ドル大暴落となったこと、別な言い方をすると米ドルが極端に「下がり過ぎ」となったことの反動が主因だっただろう。

上述のG5「プラザ合意」は120円までの米ドル安・円高を目指したわけではなかった。いろんな情報を総合すると、せいぜい150円程度が目標だったのだろう。ただ、相場は行き過ぎるものであり、そして落ち着くとその反動が入る。そんな反動がもたらしたのが、1990年にかけての160円までの米ドル高・円安だったと考えられた。

ただしこの当時は、まだ日米貿易不均衡是正が大きなテーマだったため、それに支障を来す懸念がある米ドル高・円安の動きに対しては米国が不満で、日本からの不満は基本的に少なかった。当時の米政府高官のこんな発言があった。「日本は円高だとすぐにブレーキを踏むくせに、円安だとなかなか踏まない」。

この点は今回の米ドル高・円安に対する日米の立場の違いとして興味深いところかもしれない。今回のように米インフレ対策の中で起こっている米ドル高・円安に対しては、米国は容認し、日本は不満との見方が基本だ。要するに、何をテーマにしているかによって、同じ米ドル高・円安でも日米の評価は変わってくるわけだ。(後編に続く)