◆ウクライナでの戦火が激しさを増している。メディアではロシア・ウクライナを巡る話題一色だ。記事の中でロシアの作家に触れるケースも多々ある。中でもトルストイに言及するものが群を抜く。『戦争と平和(Война и мир)』で知られる文豪だけに当然だろう。先日の日経新聞「春秋」でもトルストイの非戦論が取り上げられていた。
◆僕が上智のロシア語学科出身だということは前回述べた。実はずっと前に一度だけ、ストラテジーレポートでロシア語を書いたことがある。(2013/1/21「幸せなマリアージュ」)あ、もちろんロシア語でレポートを書いたわけではなく(そんな能力はない)、一文をロシア語の原文で引用しただけである。
Все счастливые семьи похожи друг на друга, каждая несчастливая семья несчастлива по-своему.
「幸せな家庭はどれも似たようなものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸である。」
トルストイ『アンナ・カレーニナ』冒頭の一節である。
◆ウクライナの人々の苦しみや悲しみを思うと胸が痛む。いま彼らは不幸のどん底(На дне - ゴーリキーの戯曲)にいる。しかし、ロシアの一般の人々もまた不幸を味わっている。ウクライナの人、ロシアの人、いずれもそれぞれに不幸である。この戦争に反対する声はロシア国内外を問わず、ロシア国籍の人々の間でも広まっている。ロシア語の「平和(мир)」は「世界」という意味でもある。平和の希求は世界中の人々共通の想いだ。
◆北京パラリンピックにRPC(ロシアパラリンピック委員会)とベラルーシの選手の出場を認めない決定をIPC(国際パラリンピック委員会)が下したが、こうした事例はパラリンピックだけでない。経済学者のタイラー・コーエンによると、ノルウェーで開催予定のチェスの大会にロシア出身のプレーヤーたちが出場を拒まれたという。彼らはみな、ロシアのウクライナ侵攻に異を唱えているにもかかわらず、である。ロシアにいる猫がキャットショーの国際大会に出られなくなったという話まであるそうだ。
◆ロシアへの経済制裁や排除は仕方ないことだろう。しかし、そこに憎悪や嫌悪があってはならない。それは戦争に加担しているのと同じである。ロシアの一切合切を悪と断じて排することは間違っている。ロシアの人々もまた今回の戦争の犠牲者である。「罪を憎んで人を憎まず」という。戦争にも当てはまる。憎むべきは戦争と、それを推し進める指導者であって、決して一般のロシアの人々ではない。言うまでもなく、スポーツ選手もチェスのプレーヤーも含めてだ。もちろん、猫も含めて、である。