みなさん、こんにちは。日経平均は4月に入って盛り返してきました。やはりまだ相場の腰は強いということなのでしょう。直近の調整局面は急ピッチだった上昇に対する日柄調整であったと位置付けたいところです。

コロナ禍への懸念はまだまだ続きますが、製造業のうち、大企業の景況感はコロナ前に回復してきたとの報道も出始めました。まだ当面はニュースフロー面での追い風が続くのではないかと筆者は考えています。

相場心得とは、時代を超えて戒めと気づきを与えてくれるもの

さて、今回は「筆者が座右の銘にしている相場心得」をテーマに採り上げてみたいと思います。

これまでもマネックスコラムにおいて、何度となく相場心得(相場格言)を織り込んできました。実際、そのことにお気づきになっていた読者の方も少なくないのではないでしょうか。

先日、ある読者の方から「一度、そういった相場心得をまとめてくれないか」とのリクエストをいただきました。とはいえ、示唆に富む含蓄の深い相場心得(相場格言)は数多くあり、とても1回のコラムで紹介し切れるものではありません。そこで、テーマ別に何回かに分けて、筆者が重要だと思っている相場心得を紹介していこうと思います。

そもそも相場心得(相場格言)は、当時から世界最先端の金融工学が実践的に活用されていた江戸時代の米相場から成立したものが多くを占めます。そして、時代の変化やコメから株式へと相場対象も変遷する中で、新たな相場心得(相場格言)もまた日々生まれています。

本来投資は合理的なものではあるものの、投資家自身の心理の影響もまた強く受けるため、間違いを多々犯してしてしまうものでもあります。相場心得(相場格言)は時代を越えて、自身に戒めと気づきを与えるものだと私は考えています。

本コラムでは、ご紹介する相場心得(相場格言)が読者の皆様の投資スタイルを考える一助になれば幸甚の極みです。なお、相場心得をどう受け止めるか、解釈するかは個々人の判断に拠ることもまた事実です。あくまで筆者個人の解釈と使い方をご紹介する趣旨であることをご理解いただきたいと思います。

バブル相場に対する心得とは

今回はまず「バブル相場に対する心得」をいくつかピックアップしてみましょう。これはかつてコラムでも触れたことがありますが、筆者は「宴にはしっかり参加するべき。しかし、最後まで宴に残ってはいけない」を最初に認識すべき心得と考えます。

この真意は、「そこにチャンスがある以上、急上昇相場には四の五の言わずにしっかり参加すべきではある。しかし、最後の買い手にならないよう注意を払っておかねばならない」ということです。もちろん、自身が最後の買い手なのかどうかはその時点では決してわかりません。しかし、自身が最後の買い手であるかもしれない、という危惧を常に持っておくことが重要なのです。

実はバブルが崩壊する過程はいつも同じです。今以上に高い値段を提示できる人がいなくなったところがピークとなるのです。換言すれば、どれだけ「非合理的な水準にまで暴騰していても」より高い値段で買おうという人が残っている限り、バブルは崩壊しません。

出来高や気配、世論などにしっかり目を配り、買い手が残っているのかどうかを推察しておくことが、結局のところ、最も有効な対処法になるのではないかと考えます。特に、世論が総強気の時は要注意です。既に全ての参加者が買ってしまっていて、あなたが買いの最後の1人なのかもしれませんから。

「バブルは別の顔をしてやってくる」も含蓄ある心得です。これは現代のあるエコノミストの方の言葉だと記憶していますが、これを聞いたとき、私は「まさに」と膝を打ったのを覚えています。過去、何度もバブル相場はありましたが、そもそもなぜそういったことが繰り返されてしまうのか。その心理的な理由を表しているのが、まさにこの言葉です。

これまであったバブル相場は、それらがバブルとなってしまったこと自体は共通しているのですが、バブル発生のメカニズム、きっかけ、時代背景、テクノロジーなどはほぼ全て違っています。まさに、「別の顔」をしてやってくるのです。そのため、多くの「投資歴の短い」市場参加者からすれば、「顔が違うので今回は違う。バブルではない」と受け止めてしまいがちになるのでしょう。

実際、バブルは一定の周期を以って発生しています。これはバブル発生とその崩壊を間近に見た世代が少なくなり、バブルを知らない世代が増えてくると、そこで同じ轍を踏むということなのかもしれません。

これに対し、「否。バブルを知らない世代でもバブル崩壊は歴史的事実として知っており、そこからの学びを考えれば歯止めは効くはずだ」との反論もあると思います。

しかし、結果が分かってからの後講釈を、しかも書物や学問などを通して知るのと、五里霧中で緊迫した局面を実際に潜り抜けた人間とでは学びの深さが圧倒的に違います。

歴史を学び知識を増やすことは非常に大切ですが、過去の世代が決して愚かであったわけではないことを真摯に受け止め、そして自身は自身の知識の限界を謙虚に受け止めなければならないことを、この心得は物語っているように思えます。