キャセイの株価が10年ぶりの安値に

航空会社の最高格付け「The World's 5-Star Airlines」を4年連続授与したキャセイパシフィック航空(以下キャセイと略す)の経営が揺れている。

8月16日(金)、キャセイは最高経営責任者(CEO)である ルパート・ホッグ(Rupert Hogg)氏の任期途中での辞任を発表した。最高顧客・商務責任者(Chief Customer and Commercial Officer)のポール・ルー(Paul Loo)氏の辞任も同時に発表され、2トップが一度に辞任したことは、香港のみならず世界の航空業界に衝撃を与えている。

空港閉鎖に繋がったデモに同社従業員の一部が参加していた事もあり、航空事業経営者としての責任を問われたという見方に加えて、過去数年の業績低迷の責任も併せて取らされたのではとの見方もあるようだ。

ホッグ氏の後任CEOには、キャセイ株式を45%保有する筆頭株主のスワイヤー・グループのHAECO社CEOが、ルー氏の後任には、最近キャセイ傘下に入ったHong Kong Expressの元CEOが就任しており、2人とも中国人経営者となった。

しかも、今回の辞任劇は、キャセイからの発表前に中国国営テレビがニュースを流したことで様々な憶測を呼んでおり、キャセイの株価(香港市場上場 SEHK:00293)は過去10年で最安値をつけた。つまり名門航空会社キャセイが、香港デモという乱気流に巻き込まれ大きく揺れているのである。

戦後の混乱期に創業し世界有数のフラッグキャリアへ

さて、ここで渦中のキャセイの歴史を紐解いてみよう。筆者の勤めるNippon Wealth Limitedも以前はキャセイと提携(現在は全日空と提携)し、アジアマイレージをお客様に差し上げていた関係でキャセイ本社には何度も足を運んだことがある。

キャセイ本社は空港ターミナルから車で2~3分ほどのところにあり、その名もキャセイシティという名前がつけられている。時間の不規則なパイロットやキャビンアテンダント用に宿泊施設がある他、レストラン・食品マーケットも併営され、本当に“シティ”と呼べそうに充実した建物である。

敷地内にはキャセイ歴史博物館(Cathay Pacific Experience Centre)も併設され、同社の歴史を学ぶことができる。創業は1946年、日本航空が1951年創業なのでキャセイが5年早い。

アメリカ人のロイ・ファレル(Roy Farrell)とオーストラリア人のシドニー・デ・カンツォウ(Sydney de Kantzow)の2人の元空軍パイロットが、オーストラリアから戦後間もない中国に生活必需品を空路で運ぶという、当時は冒険ともいえるフライトを成功させたことに同社の歴史は始まる。

「キャセイ」とは、英語で「中国」を意味し、マルコ・ポーロの東方見聞録にも出てくるようだが、中国からアジア全域を視野に入れた事業展開を目指して命名したという(ちなみにキャセイのマイレージメンバーシップ名称は「マルコポーロクラブ」である)。

1946年といえば第2次世界大戦直後の混乱期であり、そこからスタートした同社は香港からフィリピン・上海・シンガポールなどへの航路を展開していく。中国本土でのゲートウェイとしての香港の役割が高まるにつれ、世界有数のフラッグキャリアとしての地位を確固たるものにした。

日本へも1960年に大阪乗り入れを果たしている。2000年代にはドラゴン航空、そして2019年に強力なライバルの香港エクスプレス航空を傘下に入れ、現在世界の200を超える都市に就航し盤石の体制を敷いている。

中国本土との関係では、中国政府系“中国国際航空”とは資本提携をしており、キャセイは中国国際航空の約18%の株式を保有している一方で、約30%の資本を中国国際航空から受け入れている。

終焉見えぬ香港デモ、「香港経済界」にも火の粉が

そして今回のキャセイの経営トップの辞任騒動。逃亡犯条例改正案に対する香港市民のデモの影響は、いよいよ企業経営の在り方まで左右するところまできたようだ。

中国航空規制当局からの指導で、安全なる運航が担保されるような経営体制を求められたというメディア報道がある。

筆者は政治的には中立な立場であるが、世界を代表するフラッグキャリアの航空事業を預かる総責任者としては、「フライトの定時安全運航」というのは事由はともあれ航空会社経営者に与えられた善管注意義務、受託者責任(Fiduciary Duty)の中で最も重要な役割ではないかと考える。

取締役は全てのステークホルダーに対する責任を負う。ステークホルダーとは「株主・顧客(ここでは乗客)・従業員・そしてコミュニティ」と定義されれば、キャセイのプレスリリースを読む限りでは今回の一連のデモの対応の責任を問われたとあり、取締役会としての説明理由はその通りであると思う。

無論この背景にはこの額面上の理由に加えてキャセイ筆頭株主のスワイヤー・グループの「金勘定」があるのは当然の見立てだ。同社は19世紀から続く旧英国植民地を商圏とした一大コングロマリットであり、キャセイ以外の関連会社は相当に中国本土との繋がりも深く、収入の多くを中国本土に依存している。

スワイヤーの宗主であるマーリン・スワイヤー(Merlin Swire)氏が事態収拾のために北京に飛んだ後、今回の人事が決まったとの話もまんざら噂と言いきれない。

6月から始まった逃亡犯条例改正案に対する反対運動。香港中を巻き込む市民運動に発展しており、その火の手は「香港経済界」に広がりつつある。その最も象徴的な「フラッグキャリア航空会社=キャセイ」の経営層人事に飛び火したことは火の粉の一片であろう。

そろそろこの香港歴史上最大の危機ともいえる事態も、この辺でラグビーの試合のように「No side」の笛を吹かれる時が近づいてきたと思いたいのは筆者だけであろうか?