店員によるおふざけ動画等の投稿が相次ぎ、問題になっています。重い罰を与えるべきと云う人もいますし、様々な論点があると思うのですが、私は「想像力の欠如」について考えたいと思います。

彼らは果たして、友達に撮らせて、主に友達との間にシェアすることを意識した時に、それが事業者に多大な損害を与えること、全国的な問題になること、損害賠償問題にもなることを、どれだけ自覚していたのでしょうか?もちろん中には確信犯もいるでしょう。しかし、「こんなことになるとは思わなかった」と考えている者もきっといるでしょう。

私はこの問題を考える時、2003年5月に、某新聞社の記者が戦地で手榴弾を拾ってきて、ヨルダンの空港で爆発させて死亡者まで出した事件を思い出します。その時も当該記者は、「まさかそんなことになるとは思わなかった」と云いました。このような事故に限らず、マスコミ等の発言が、誰かの社会的生命を失わせることもあり、その時にも、そうなることは望んでいなかった、そこまでなるとは思っていなかった、という風に当事者が考えることもあると思うのです。

このような文脈での「想像力の欠如」は、大変重大な問題です。このことは、情報発信に限らず、行政の仕事、私企業での仕事でも、自分のやっていることが、まさかそのような結果になるとは思わなかった、ということが多い可能性があります。二国間の有事とか、そういうことにまで、この問題は行き着くこともあるかも知れません。

想像力を持つこと、事柄の連関・連鎖を良く考えること、そして、そのような考え方をするように、様々な事柄に関して、全ての階層の人に対して、啓蒙というか、気付きを与えることが、大切なのではないでしょうか?