物価水準の財政理論 今、話題のFTPL(=Fiscal Theory of Price Level「物価水準の財政理論」)の提唱者であるクリストファー・シムズ米プリストン大学教授が来日され、日経ホールで行われた講演&討論会を聴きにいった。
FTPLというと、「金融政策は限界なので財政を拡大してインフレを目指す」という点ばかりが強調されがちだが、実際にはもっと奥深い示唆に富む理論だ。僕は経済学者ではないので、この理論の解説はできない。別途、偉い先生の教科書などを参照してほしい。僕自身も勉強するつもりである。これからの日本経済の先行きだけでなく、マーケットを見通すうえでも非常に有益な理論だからだ。
シムズ教授は非常に謙虚な方とお見受けした。自分がFTPLの提唱者であるかのように取り扱われているが大元のアイデアは同じくプリンストン大のマイケル・ウッドフォード氏のペーパーであると語った。シムズ教授を一躍有名にしたのは16年8月のジャクソンホール会議に招かれて行った講演だ。ジャクソンホールのランチョン(昼食会)で講演してほしいと頼まれたのだが、その際の注意として「数式を一切使わないでもらいたい」と要請されたという。シムズ教授自身、計量経済学の大家であり、FTPLを完全に理解するには数学や経済学の深い知識が必要だと述べたうえで、今日(@日経ホール)の講演はジャクソンホール同様、数式をひとつも使わない、とおっしゃってくれたので安心した次第だ。
その後、早くからFTPLを日本で研究していた東京大学の渡辺努教授(モーサテファミリーでもある)が、「シムズ教授は数式をひとつも使わなかったが、ひとつだけ使わせてほしい」として、以下の等式を提示された。
国債の市場価格/物価水準(国債の実質的価値)
= 将来にわたるプライマリーサープラス(基礎的財政黒字)の割引現在価値
つまり、財政を拡大して右辺のPBの現在価値を下げれば、(シムズ先生いわく「恒等式だから」必然的に)左辺も下がる。すなわち国債価格は下落し、それだけでは足りないから物価が上がると。FTPLは国債と財の交換の概念や市場のアセットプライシング・メカニズムなど多元的な経路を通じてインフレになることを説明する理論である。
ここからわかる通り、この先、日本でFTPL的なフレームワークが機能するようになるとすれば、国債価格は下がり金利は上がる。これはマーケットを考えるうえで非常に重要な観点である。この点については別の機会に改めて触れることにする。
トランプ発言は天動説 だいぶ前置きが長くなったが、「天動説を信じるか?」である。シムズ教授の講演のあとのパネルディスカッションに登壇されていた浜田宏一米エール大名誉教授の話にインスパイアされたのだ。そもそも日本でシムズ理論が注目されたのは安倍首相の経済ブレーンである浜田先生がシムズ教授の講演を「目からウロコが落ちた」と評したのがきっかけだ。
さすがにご高齢の浜田先生、FTPLそのものについてのご解説は、やや前後不覚(?)的なところもあったが、少し脱線して、トランプ大統領の円安批判に話が及ぶと、「天動説のようなものだ」とばっさり切り捨てられたのに僕は快哉を叫んだ。
浜田先生はUCバークレーのアイケングリーン教授らの研究を紹介し、「保護主義や関税は自国通貨高を招くというのは経済学では常識的な理論である」「自らドル高を招く政策を志向しながら他国が通貨安誘導していると批判するのは大きな矛盾」と述べた。
これは僕が従前から言っていることだ。トランプ大統領の「口先介入」に市場がどこまでも追従するとは限らない。市場で決められる価格は最終的には経済合理性で決まる。水は高い方から低い方に流れる。太陽が地球のまわりを回っているのではない。トランプ氏がなんと言おうと、「それでも地球は回る」のだ。
なぜ日本の市場関係者はトランプがちょっと暴言を吐いただけで、すぐに円高だ円高だと大騒ぎするのだろう。その点、欧州の為替ストラテジストは肝が据わっている。ブルームバーグにこういうニュースが流れた。
<トランプ氏側近のユーロ安批判、為替ストラテジストが「無視」呼び掛け>
米国家通商会議(NTC)のナバロ委員長がユーロを「甚だしく過小評価されている」と批判した発言について、為替ストラテジスト数人は同委員長を「無視」するよう呼び掛け、主張は「誤り」だと指摘した。
(中略)
* 「単に無視すればいい。ドルが下落すれば、米金融当局はよりタカ派になる」-ノルデア銀行の為替チーフストラテジスト、マルティン・インランド氏がツイッターに投稿
* 「われわれのモデル(SEBEER)を信頼するなら、ナバロ氏の発言は大間違いだ。SEBEERは実際正反対であることを示している」-SEBの為替チーフストラテジスト、カール・ハマー氏
最近、日本のメディアでも自動車を巡る通商問題で80年代の激しい貿易摩擦再燃を懸念する論調が相次いでいる。しかし、ここで問いたいのはトランプ氏およびその取り巻きが言っていることが正しいのかということである。すべてお門違いも甚だしいことばかりである。確かに、正論が通じない相手であることは間違いないが、それによって何かとんでもない不利益を被るだろうか。こちらに非がないなら過度に心配するのは無用である。どうも我々日本人(の一部、特にメディアと市場関係者)は被害者意識が強すぎるのではないかと思う。
市場関係者は弱腰の連中が多いが、どういうわけか、市場関係者の総意で動く「市場」そのものは冷静なようで心強い。
本稿を執筆している午後2時現在、日経平均は切り返してプラスに転じている。このままいけば、この2週間のパターンを踏襲する可能性が高い。すなわち月曜、火曜と大幅安したあと水・木・金と週の後半で下げを取り戻す展開である。前回もトランプ氏のドル高牽制発言でドル円が112円台に突っ込んだところで反転した。今回もまったく同じ動きである。
入国制限に関する大統領令で全米のみならず世界的な批判が高まるなど、言語道断な暴君ぶりを発揮しているトランプ大統領だが、市場は冷徹にその発言の空虚さを見切っている証拠ではないか。トランプ発言に振り回されるのではなく、今朝の日経新聞1面が報じた「上場企業 業績底入れ」などのようなファンダメンタルズの改善に市場は眼を向けているのだろう。そのうちにトランプ発言は口先だけで実際にドル高を是正する手段も理論もないことに市場は気付くだろう。早ければ明日未明に発表されるFOMC声明文がそのきっかけになるかもしれない。
【お知らせ】「メールマガジン新潮流」(ご登録は無料です。)
チーフ・ストラテジスト広木 隆の<今週の相場展望>とコラム「新潮流」とチーフ・アナリスト大槻 奈那が金融市場でのさまざまな出来事を女性目線で発信する「アナリスト夜話」などを毎週原則月曜日に配信します。メールマガジンのご登録はこちらから