今日、旧赤プリのコンプレックスに行ってきました。そこのビルに入っている会社の知人に会いに行くためです。旧赤プリコンプレックスは東京ガーデンテラス紀尾井町と云い、オフィスビルはその中の紀尾井タワーと呼ぶようですが、どうも覚えられそうにありません。従って、少なくとも当面は、旧赤プリと呼ぶことを御容赦下さい。旧赤プリは色々な思い出があります。あの広くて立体的なロビーは、中々モダンで良かったと思います。
かつて納会の日が半ドンだった頃、その午後に、赤プリの旧館の方の宴会場で、金融・証券関係者が大勢集まり、多く飲み、私はそのあと或る鮨屋に毎年のように一年間のツケを払いに行っていたのはいい思い出です。ツケで食べるくせがあった訳ではなく、いつもその鮨屋にはディナーの後に一人でふらっと寄ることが多く、既に現金がなく、仕方なくカードで払おうとするとカードリーダーが壊れていて、不本意ながらツケになってしまう、ということが毎回重なってしまい、年越えのツケはイカンと思って、毎年納会の日に現金を握りしめて訪れていたのです。
然しながら旧赤プリ最大の思い出は、まだ前職ゴールドマンサックスに居た頃、時の国会は不良債権国会で毎日大騒ぎして議論していましたが、国があまりにも実態を把握していないと心配になった私が、当時内閣に近い所に居た友人と話し、国側に本当の実態を伝えるという夜の覆面座談会のようなものを企画し、旧赤プリの一室で会議を持ったことです。私が実態に詳しい当事者を3人集め、名前は明かさずに、しかし私が身元を保証し、国側のキーパーソン数人に対して、深夜まで実態を詳細に説明しました。知ってて出来る知らない振りという言葉もありますが、どこまで実態を公に明かすかは別として、実態を正確に知らないと有効な対応策は打てないと考えたのです。キーパーソン達は、「やはりそうだったのか」と唸っていました。
そんな思い出もある旧赤プリ。今日は約束の時間よりちょっと早く現地に着いたので、少々探検してみました。元々複雑な地形の中に立っているのと、このコンプレックスの造りが複雑であることも手伝って、私にはかなり位置関係の分かりにくい空間でした。高層階から見える景色は、見慣れない風景で、色々な意味で新鮮でした。名前のせいもあるかなぁ。新しい名前と新しい空間、新しい位置感覚が、古い思い出を速く消し去っていくのではないかと感じます。ま、そんなもんですかね。諸行無常ですね。レストランなどはまだ空いているようだったので、また近々訪れたいと思います。