本来今日は金融緩和のことを書くタイミングなのかも知れませんが、思わずフライングで昨日書いてしまったので、今日は何故かそば湯について書きたいと思います。私は可能な限り毎日お昼はおそばを食べるのですが、これは好きで、大好きでそうしているのですが、今日はそば湯がナントお湯でした。私は毎回そば湯をそばつゆ徳利なら一本分、立ち食いそば屋などでポットに入っている場合にはコップで4杯ぐらいは飲みます。ざるそばのつゆよりも、かけそばのつゆを割って飲んだ方がマイルドで美味しいと思っています。今日も出前のそばを食い、楽しみのそば湯をつゆで割って飲み始めたら、なにやらやたら薄いのです。徳利を覗くと透明です。はて?そば湯だけをおちょこに取ってみると、果たして単なるお湯でした。或いは極限までに薄くてお湯と見分けがつかないそば湯でした。くーっ、残念。おそばを食べる喜びが半減したような気持ちになりました。

たかがそば湯、されどそば湯。そば湯にも出来の違いがあります。一度銀座の小さなそば屋で、そこは若干高めですが有名店という訳ではないのですが、本当に美味しいそば湯を頂いたことがあります。とても小さいテーブルが3つしかない小さなお店です。たねもの(かけそば)を食べたあとに、「そば湯とおちょこを下さい」と云うと、それから主人がそば湯を桶に入れ始めるのが、狭いカウンター越しに見えました。ところがそれから時間が掛かるのです。手際悪いなぁ、などと思っていると、暫く時間が掛かってから、ようやくそば湯が運ばれてきました。これが美味い。濃すぎず、薄すぎず、滑らかでまろやかで、天にも昇るような美味しさでした。恐らく絶妙のブレンドになるように、丁寧に釜を混ぜながらそのそば湯を作りだしたのでしょう。だから時間が掛かったのでしょう。

支払いをする時に、おかみさんには「そば湯もとても美味しかったです」と伝えたのですが、支払い中に脇のカウンター越しまで寄って来られた主人に「そばも美味しかったけどこんなに美味しいそば湯は飲んだことがありません」と御礼を云おうと思い、しかし何故かそれを云うのも恥ずかしいような毅然とした職人魂を感じて、遂にその言葉を発せずに支払いを済まして店を出てしまいました。後悔。またきっと近いうちに食べに行って、まずはおそばとそば湯を堪能し、それからしっかりと御礼を云ってこようっと。