未だニューヨークにいます。これから帰ります。今朝は雲ひとつなく晴れ上がったので、空と同じような青と白のストライプのシャツを敢えて一枚だけ着て、ブルージーンズで出掛けました。とても爽やかな感じ。流石に少々寒いので近くの店で白いセーターを買い、それを羽織ってマジソン・アヴェニューを北に向かって歩き続けました。緩やかな上り坂になっているのですが、その所為もあって視線は上に行きがちになり、そこには雲ひとつない真っ青の空が広がっていました。本当に空に溶け込むような、そんな気分でした。

ずっと歩き続けると、左(フィフス・アヴェニュー)にメット(メトロポリタン美術館)が現れ、左に曲がって、この大好きな場所に当然のように、吸い込まれるように、入っていきました。メットは膨大な場所です。メットに行くと、好きな場所や絵が数ヶ所決まっていて、そこに直接見に行くことになります。どの絵が好きかを云うのは裸になるみたいで恥ずかしいものですが、それでも今日は気分がいいのでこの際云ってしまうと、エル・グレコ、ゴヤ、レンブラント、フラゴナール、ブーシェ、フェルメール、そして一枚だけあるデューラーの描きかけの絵、プーサンと云うあまり有名でない画家の巨人の絵。

一般展示室はその配置が偶に変わります。そしてかなり広い場所です。印象派は別の場所にまとめてるのですが、これも膨大な広さで、とっても回りきれません。そしてロバート・リーマン・コレクションと云う小柄なとっておきの静かな場所に行きます。メットの中で、あまり知られていないブロックですが、ゴヤやエル・グレコの素晴らしい絵から、ルノワール、セザンヌ、シスレー、ゴーギャンなどの印象派の素晴らしい作品も、こぢんまりとした場所に飾られています。そう云う馴染みの場所だけに行き、馴染みの絵を見ます。

或る意味ではメットに慣れているのですが、或る意味では感受性が落ちているのでしょう。若い頃はどの絵がいいかなど決めつけないで、時間に任せてひとつひとつ丁寧に見たものです。そして好きな絵が決まった。今は昔の感受性の豊かな若い頃に自分が選んだ絵を復習しているだけのようでもあります。どうしても時間が限られているからかも知れません。

メットを出て、セントラル・パーク沿いに下って歩いていき、屋台のホットドッグを食べました。マスタードとサワークラウト(酸っぱいキャベツの千切りのようなもの)のみ。これも20年以上前に憶えた味覚の復習です。そしてもう一つ大好きな場所であるフリック・コレクションなる小さな美術館に寄る。ここはそもそも絵の数が限られているのですが、その作家は、上に挙げた人たちと同様です。付け加えるならターナー、ミレー、マネぐらいでしょうか。ここも若い頃の感受性の復習です。

私にはこう云った癖があります。小説や詩も、若い頃に好きになったものを繰り返し読んできました。ただ小説は、文庫本で新しい冒険をしてみて、新たに好きになる作家も出てきました。しかし「新しい作家を読む」と云うのはそれなりの覚悟と勇気と体力のいることなのです、私にとっては。でもまだ出来ますが、絵は中々出来ない。やっぱり年取っちゃったのかな。いや、そうは片付けたくないですね。いつか時間を作って、何日も掛けてメットを舐めるように見て、若い頃の自分とは違うアンソロジーを作り、比べてみたいと思います。若さだけが感受性の源とは限りません。ま、感受性に於いては、若い自分に勝てるとは到底思えませんが。

ビバ・ニューヨーク!これから日本に帰りますが、なんか再生カプセルに入ったようで、とっても元気になりました。さぁ、帰ったら花見だ!