今日、腕時計を忘れました。取りに戻ろうかとも一瞬思ったのですが、なんとかなるだろうと考え、そのまま腕時計なしで過ごしました。

腕時計をしていると気付かなかったのですが、日中何度も腕時計を見ようとしていました。様々な拍子に左腕を見る。するとそこには何もなくて、普段あるところにモノがなくて手が空振りする様な感覚を憶えて、あ、忘れてきたんだ、と思う訳です。何度も何度もそれを繰り返し、最初から見ないと云う学習が、少なくとも今日一日では出来ませんでした。

興味深いのは、それでも日中の仕事は、なんの差し障りもなく進められたと云うことです。要は時計は何度も見るのですが、なくても困らないのです。これでは或る意味時間とエネルギーの無駄です。時計を見ると云う意識が、脳活動のスムースな動きを微妙ですが妨害しているかも知れません。

昔キャンディーズの歌でありました。"とぉ~けいはぁー、しないできてェ~ねー、それはぁー、だいじぃ~なことぉー♪"この歌では、"それがダメならさよならバイバイ"と繋がるのですが、しっかりモノを考えるには、時計は邪魔な存在かも知れません。

明るさやお腹の空き具合で、時計がなくても時間はある程度分かります。木の葉の色や風の雰囲気、或いは食材で、カレンダーがなくても季節は分かります。腕時計のない一日は、心にちょっと余裕をくれた一日でした。