今晩は中秋の名月です。本来ならばお団子を供えて眺めるところですが、これからNYに出張なので、ホテルでマシュマロでも置いてみようかなと思います。

さて、半月前、新月の晩に恐らく決まった政治停止は、満月の晩に新体制で活動を再開します(このつぶやきを書いているのは飛行機に乗る前なので、新しい内閣の内容を未だ知りません)。私は日本での月を見ることが出来ませんが、人々はどのような気持ちで見上げることになるでしょうか。日本以外で見た秋の満月を、私は克明に三つ覚えています。ひとつはIRの途中、あれは確かエジンバラからフランクフルトに移動する飛行機の窓から見た、雲の上に浮かぶ小さいが巨大シリウスのように輝く満月。もうひとつはフィラデルフィア近郊にあるバンガード本社を訪れた時に、当時国際担当役員だったS.U女史が運転するバンの車窓から見た、とても大きな満月。そして北京・紫禁城のすぐ隣の四合院から見た、李白の詠ったような風流な満月。

どの満月も、物理的な情報としては、誰が見ても、どこから見ても、同一の満月です。しかし文化や詩歌など、即ち予めインプットされた知識や、その時の気持ちのあり方によって、見え方は大きく変わり得るものです。或いは正確には、どう見えたかを表す表現が、それは即ち基本的には「ことば」が、変わるのでしょう。と云うことは、多くのことばを知るほど、多くの心を持てると云うことでしょうか。そんなことも思いながら、今日は半日遅れで名月を見たいと思います。