昨日のつぶやきにも書いたように、チャレンジャー・挑戦する心が私は好きです。と云うか尊敬しています。朔太郎は、確か昭和詩抄の前書きだったと思いますが、いい詩を書こうとすることよりも、詩的な人生を送ることが肝要であると云っていました。安吾も色々な文章の中で、特に日本文化私観の中などで、装飾による美しさよりも、必然的に生まれた機能美の方が美しいと云っていました。
チャレンジはアクセサリーではなくて、必然であり、体の真芯からの叫びであり、飾る余裕もない闘いであるべきです。私は小さい頃から、チャレンジャーでした。しかし歳と共にリスクを回避しがちになっていきます。それは自然な流れではありますが、同時に、流されてはいけないと思います。これからもチャレンジャーであろうとするのではなく、ただ事実として、チャレンジャーでありたいと希っています。