取材で小学生の頃の写真を頼まれて探してみると、制服を着た写真が出て来ました。小学校の1・2年だけ近所の私立の学校に行っていたので、その頃のものです。酷いみそっ歯で笑えるのですが、実は私はこの学校から放校されています。

兄は公立の小学校に行ったのですが、先生と合わなかったため、家から200メートルぐらいの所に小・中・高一貫のミッション・スクールがあったのでそこに転校しました。一緒に行けるので、私もその学校に入学しました。私が小2の時に、兄は自ら中学受験を志望しました。残念ながら落ちてしまったのですが、その結果、そのミッション・スクールの中学には進学せずに、近所の公立の中学校に行くことになりました。

すると先生が私に聞きました。「うちは一貫教育の学校だから、途中でやめられるのは困る。お前も4年後に受験するのか?今決めてくれ。」私は家に帰ってきて、母に云いました。「聖書の時間で、”明日のことは神のみぞ知る”と云っていたのに、4年後のこと聞くなんておかしいよ!」その晩二人で新約聖書をひっくり返して、確かにそのような言葉を見つけました。翌日二人で学校に行き、校長先生に私から云いました。「明日のことでさえ神様だけが知っているというのに、4年後のことなんて決められません。」校長先生曰く、「今すぐにやめて下さい。」私はその場で退学することになり、兄が合わずにやめた公立の小学校に、出戻るように転校することとなりました。

そんなことを聞く学校も、反抗する小学校2年生も、どっちもどっちですが、加えてそれを助長する親も、今考えると不思議な存在です。しかし或る意味のどかで、遠いけれども鮮明に憶えている、とても大切な想い出です。そんなことが出て来た写真を見て、頭と心の中に広がりました。