今朝の新聞各紙の一面を飾っていた『和解』の写真は、少なくとも私には、あまり美しいものには映りませんでした。何故でしょう?三省堂の新明解国語辞典によると、和解とは「仲直りして争いをやめること。〔法律では、民事上の紛争について当事者が互いに譲歩して争いをやめる契約を指す〕」とあります。法律上の和解は単なる一つの契約ですが、握手と笑顔は、あの場に本当に必要だったのでしょうか?

ともあれ、騒動は収束しました。その祭りのあとに、何が残ったでしょうか。三角合併などのM&Aに関する規制緩和は丸一年遅れることになり、日本の資本市場の国際化はそれなりに遅れたでしょう。TOB・敵対的買収は有名にはなりましたが、日本に於ける敵対的買収は、恐らくこれから長い間成功することはないでしょう。但し、失ったものばかりではありません。所謂コーポレート・ガバナンスに関しては、急速に強く意識されるようになったことでしょう。しかし今回の騒動で、もっとも学ぶべき事は株価の意味、もしくはチカラではないかと思っています。

各社の株価の動きが、最終局面に於いて各社−特に主役の某社−の判断に大きな影響を及ぼしたことは明らかです。株価は世論を反映し、或いは世論は株価を反映する。そして世論不在では、何事も成就しにくい訳です。マーケットの効用は、こんな所にもあります。今回のことを契機に、経営者はもっと株主の目を気にするようになるでしょう。しかしその「株主」は、「一般株主」であって欲しいと思います。

敵対的買収をされないために、買収者という一部の特殊株主・投資家ばかりを意識するようになるのでは、騒動からの学習としては、あまりにも味気なく、非生産的なものになります。一般株主に目を向いた経営こそを、祭りのあとに残るものとしていかなければいけないと思います。