(本日のつぶやきは完全に特定サッカー・チームのファン・モードです。予め御了承下さい。)
一昨日の浦和レッズの試合には感動しました。とにかく試合に勝ち、J1の首位を守ったことが何よりも重要なのですが、私が特に感心したのは、そして恐らく多くのレッズ・ファンが同様に感じているのは、福田の役割についてです。福田正博選手はもうすぐ36才、社会人になってからずっと三菱浦和(レッズ)で苦楽を共にしてきた生粋のレッズ選手です。89年に中央大学から当時二部リーグに落ちていた三菱に入団し、リーグ記録のゴール数でチームを一部復帰に導くと同時に自らも日本代表入りを果たし、更に95年には日本人として初めてJリーグの得点王になった、筋金入りの俊足フォーワードです。その福田を今年からチームの指揮を執るオフト監督はフォーワードから降ろして、ミッド・フィルダーをさせています。フォーワードには若い選手が育ってきています。しかしまだまだ福田の技術と経験はレッズの為に使える。そこでこのような役割交替になった訳ですが福田は少しも悪びれずにチームの為に素晴らしいプレーを続けています。一昨日も、そんな福田は二列目を頑なに守り、決して前線にまで出て行きませんでした。
しかし試合終了10分前、一点負けている状況で、敵のゴール前で自軍のフォーワードからこぼれた球を、90分の試合の中でその瞬間だけ一気に前に詰めてゴールに蹴りこみました。選手や世代の交替は、本人は中々受け入れられないものです。まして役割交替というのはさらに難しいものでしょう。トップの交替は容易ではありませんが、その組織のことを熟知している旧トップが、敢えて後輩の配下に降りて新たな役割を全うするのは極めて難しいことに似ています。そんなことを福田があっさりやってのけてしまうのは、やはり福田自身がサッカーとレッズをこよなく愛しているからでしょう。福ちゃんの「負けないよ」は本当にカッコ良かった。一緒に頑張ろう!
- 松本 大
- マネックスグループ株式会社 取締役会議長 兼 代表執行役会長、マネックス証券 ファウンダー
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ソロモン・ブラザーズ・アジア証券会社を経て、ゴールドマン・サックス証券会社に勤務。1994年、30歳で当時同社最年少ゼネラル・パートナー(共同経営者)に就任。1999年、ソニー株式会社との共同出資で株式会社マネックス(現マネックス証券株式会社)を設立。2004年にはマネックス・ビーンズ・ホールディングス株式会社(現マネックスグループ株式会社)を設立し、以来2023年6月までCEOを務め、現在代表執行役会長。株式会社東京証券取引所の社外取締役を2008年から2013年まで務めたほか、数社の上場企業の社外取締役を歴任。現在、米マスターカードの社外取締役、Human Rights Watchの国際理事会副会長、国際文化会館の評議員も務める。