最大13円程度の円高を起こした1998年の日米協調介入
円安阻止を目的とした日米通貨当局による米ドル売り・円買いの協調介入が行われたのは1998年6月17日のことだった。当時は、大手の証券会社や銀行などの経営破綻が相次ぐなど日本では金融危機の様相が広がり円安も止まらなくなっていた。そうした中で、それまで日本単独で行っていた米ドル売り・円買い介入に、ついに米国の通貨当局も円安阻止のために加わり、協調する形で米ドル売り・円買い介入が実現した。
財務省資料によると、この時の日本の介入額は2312億円だった。2024年に行われた4回の介入が最低でも2兆3670億円、最高5兆9185億円だったことと比較すると極めて少額に過ぎないものだったが、実際に米国も米ドル売り介入に出動したことのインパクトは強烈だった。
米ドル/円は2営業日前に記録した146円の高値から、協調介入が行われた日には138円まで急落、さらに2営業日後には133円まで続落した(図表1参照)。日米協調介入をきっかけに、米ドル/円は最大で13円程度、米ドル安・円高に戻した。
約2ヶ月で消えた協調介入による円高=円安阻止の切り札にならず
133円で米ドル安・円高が一巡すると、その後はじりじりと米ドル高・円安が再燃していった。そして約2ヶ月後の8月10日には、協調介入が行われる前に記録した高値を更新した。その意味では、日米協調介入は円安阻止や円高への反転の切り札になったわけではなかった。
それでも米ドル/円は、結果的には8月11日の147円がこの局面でのピークとなった。為替市場への介入は、日米協調どころか日本単独でも、6月17日の日米協調介入を最後に行われていなかった。それにもかかわらず、なぜ円安が終わり、円高へ反転したのか。
米国株暴落、米利下げへの転換で円安反転=それでも残った円安予想
8月に、ロシアが突然、自国通貨・ルーブルの切り下げを行った。これを受けて、ある大手のヘッジファンドが巨額の損失を抱えてしまったとの噂が広がりだした。この「ヘッジファンド危機」を懸念し、米国株も大きく下落に向かった。こうした中でFRB(米連邦準備制度理事会)は9月から3ヶ月連続で利下げを行うところとなった。
そして、米ドル/円も9月にかけて130円割れ近くまで下落した(図表2参照)。その意味では、日本の金融危機という様相の中でいつまでも終わらなさそうな円安に終止符を打ったのは、日米協調介入ではなく、米国株暴落を受けた米国の利下げへの転換がきっかけだった。
ただし、3ヶ月連続のFRB利下げでも、政策金利は0.75%の低下に過ぎなかったため、日米金利差(米ドル優位・円劣位)縮小は小幅なものだった。そうした中で、9月の時点で円安トレンド終了を確信していた人はまだ少数派だったのかもしれない。むしろ円安が再燃し、150円突破に向かうと考えていた人もいたのではないか。結果的には、その円安予想への固執こそが、円安の反転にとどめを刺す役割になったのではないか。
3営業日で25円もの米ドル大暴落をもたらした「ある噂」
9月に130円割れを回避した米ドル/円は、10月に入った頃には130台半ばまで米ドル高・円安に戻していた。そうした中である噂が流れを急変させるきっかけになった。「ある大手ヘッジファンドが米ドル買い・円売りポジションで巨額の含み損を抱えているようだ」。
このポジションが損切りされることで巨額の米ドル売り・円買い取引が行われれば、米ドル/円は「底割れ」するのではないか。そうした不安が瞬く間に広がると、米ドル/円は10月7日、8日と連日10円程度の大暴落となった。そして9日も続落、この3営業日で最大25円程度の大暴落を演じ、110円割れ近くまで米ドル安・円高に戻すところとなった。こうした中で、あの終わるはずがないような円安が実は147円で終わっていたことを、いよいよ誰もが理解したのだった。
円安終了を決定付けたのは、円安予想への固執がもたらした巨額損
米ドル高・円安がこの局面のピークとなる147円を記録した1998年8月、米ドル/円は5年MA(移動平均線)を3割以上上回っていた(図表3参照)。経験的には「上がり過ぎ」の限界圏に達していたようだった。これを見ると、さらなる円安予想には慎重になる必要があっただろう。
それでも日本の「金融危機」のような様相の中では、円安予想に固執するのも理解できなくはない。そしてその円安予想への固執が巨額の損失を発生させたことで、円安の終わりを誰もが理解するところとなったのはまさに皮肉なことではないか。
