私は文系出身です。ですが、通っていた高校には理系・文系の区分がなく、すべての教科を幅広く学びました。これは、生涯学び続けるための基礎を築き、どんな状況にも対応できる柔軟性を養うという教育理念の表れだったのだと思います。とはいえ、物理の授業は正直チンプンカンプンで、何がわからないのかもわからないほど。数学も途中からついていけなくなり、居眠りばかりしていた記憶があります。
それでも不思議なことに、受験勉強では暗記科目よりも数学の一問を解くほうがずっと楽しく、浪人生活の中でも「暗記より数学!」という気持ちは変わりませんでした。代わりに「社会」の点数はまったく伸びず、むしろ苦手意識が強まる一方。結局、私立大学の文系学部受験でもあえて数学受験を選び、結果として見事不合格!となった大学もありましたが、点が取れれば一気に挽回できる数学の一問に挑む感覚は独特の面白さがありました。
ただ当時の私は、数学を突き詰める人の頭脳やモチベーションは理解できずにいました。そんな中、最近、数学者であり起業家でもある大田佳宏さんの講演を聴く機会があり、数学の奥行きを垣間見た気がしました。大田さんはAIを「巨大な関数の合成」と捉え、数学を応用することで膨大な変数を抱えた複雑なモデルをシンプルにできると語っていました。最適化によってAIは社会に実装しやすくなり、防災シミュレーションや製造現場管理など、多様な社会課題の解決に役立つのだと。
その話を聞いて、「数学は知の営みを超えて、社会の見えないインフラだ」と強く感じました。暗号技術も、GPSも、AIも、数学なしでは存在しません。受験勉強にすぎなかった数学が、実は私たちの生活や社会を支える重要な基盤であると気づき、もっと高い視座で数学に向き合っていればよかった、そう思わずにはいられませんでした。
いま「リスキリング」が求められる時代です。学生時代には見えなかった観点を携えて学び直せば、学びそのものが社会と結びつき、より楽しくなるのではないでしょうか。日本では数学研究者の数が減少傾向にあり、活動の場も限られていると聞きますが、「数学が未来をつくる」と信じて学ぶ子どもたちが増え、その研究に十分な支援が行き渡る社会になることを願います。
