なんでも美味しくいただく私ですが、たったひとつ、どうしても食べられないものがあります。納豆です。大阪で生まれ育った私の食文化には、納豆がありませんでした。スーパーで見かけた記憶もなく、給食に出たこともありません。だから初めて納豆を見たとき、あの色と匂いと糸を引く姿に、ちょっとしたカルチャーショックを受けました。旅行先の朝食で出された納豆に一粒だけ挑戦してみる。でも、やっぱり無理。大人になってからも、「これは納豆っぽくないよ」という言葉に望みをかけてきましたが、いつも裏切られてばかりです。

ところが、ある日実家に帰ると、両親が嬉しそうに納豆を食べているではありませんか。「あれ? 昔は嫌いやったよね?」と聞くと、「なんとなく食べてみたら美味しかったから、それから食べてるねん」と。私が家を出たあと、納豆が冷蔵庫に居場所を得たらしい。今日は「納豆の日」。今日も多くの人が納豆を楽しんでいることでしょう。私にも、いつかその日が来るのでしょうか。もし「納豆を克服させる名人」がいるなら、ぜひお会いしてみたいものです。

人にはそれぞれ「おいしさの地図」があり、そこには好みだけでなく、体質や育った文化も反映されています。納豆がその中心にある人もいれば、私のように、そっと地図の外に置いている人もいる。その違いがあるからこそ、世界は面白い。国が違えば文化も変わり、味覚の風景もまるで違います。「おいしさ」に正解はありません。大切なのは、自分の地図を大事にしながら、他の人の地図も尊重することだと思います。

アートも、きっと同じです。感じ方は人それぞれ。「よくわからない」「でもなんだか気になる」と思える余白がある。マネックスグループが続けている「ART IN THE OFFICE」は、その「余白の豊かさ」に気づかせてくれる取り組みです。昨日は、社員が作品制作にかかわるワークショップがありました。ただ観るのではなく、作品の一部になる体験です。

今年の受賞者、綴れ織作家・鬼原美希さんの作品制作に参加し、私も織りの一部を担いました。私が織ったのはマネックス証券にゆかりのあるモチーフです。心が動き、それを「かたちにする」行為がとても楽しかった。鬼原さんは「創作ができることは本当に幸せなことです」と話されていました。その言葉が、心に残ります。世界には、生きることすら難しい場所もあります。そんな中で、自由に感じて、表現できるということ。それは、なんて尊く、平和な営みなのでしょう。

アートには定義がないように思います。好きでも、嫌いでも、わからなくてもいい。感じたい人が感じられて、何も感じなくても責められない世界。そんな懐の深さが、アートにはあります。納豆も、いつかそんなふうに、私の中にすっと入ってくる日が来るのでしょうか。 それまでは、納豆を美味しそうに食べる人の笑顔を、ちょっとだけうらやましく眺めていようと思います。