【為替】1990年代の日米「通貨目標」を振り返る・前編

オーバーシュートした円高誘導=「超円高」80円に

為替相場の誘導は、えてして「目標」を超えてオーバーシュートすることが少なくない。この時も走り出した米ドル安・円高は90円を超えてさらに広がり出した。これに対して日米は米ドル買い・円売りの協調介入を再三繰り返した。

それでも止まらない米ドル安に対して、日本政府内では「米政府が米ドル安阻止に真剣に取り組んでいないためではないか」との不信感が広がった。このため非公式ルートを通じて、米ドル防衛策である外貨建て債券「クリントン・ボンド」発行を求めたり、逆に米国債売却の可能性を示すことでけん制に動くということもあった。

そのような苦労を重ねる中で、ようやく1995年4月、G7による協調介入などにより80円で「超円高」は終止符を打った。この後、米ドル高・円安へ戻す局面となったところで流れたのがクリントン政権の円安許容上限「ベンツェン・シーリング」説だった。

1990年代「政治相場」で暗躍した面々=政策インサイド情報、ヘッジファンド

情報の発信元と見られたのは政策インサイド情報の代表的な存在とされたR.メドレーという人物だった。彼の情報をもとにヘッジファンドが大口の取引により利益をあげることは「インフォメーション・アービトラージ」と呼ばれた。ヘッジファンドの大物、G.ソロス氏は1992年に英ポンドを暴落に追い込み巨額の利益を出したことで一躍有名になったが、これもメドレー氏との連携だったとの見方もあった。そして最近では、この件に今回トランプ政権に財務長官として参加したベッセント氏も関係していたと言われている。

政治が為替相場に深く関与することを「政治相場」と言う。そこには政策情報に精通した存在、そしてその情報を手掛かりに大相場を張る存在が関わる。クリントン政権時代の円高誘導とはその典型例だっただろう。

米ドル/円が80円で反転、米ドル高・円安に向かう中で、当時の与党・自民党政調会長の加藤紘一氏が「100円ぐらいの円安になると日本経済にもプラスだろう」と発言したことが一部で報道されていた。私はそれに興味があったので直接その加藤氏に面会した。すると加藤氏は「円安110円を希望します。そのくらいまでは米国も何も言わないでしょう」と語った。この頃まで私は「114円のベンツェン・シーリング」の存在を知らなかったが、後から振り返った時「110円くらいまでは米国も何も言わない」というのは意味があったようにも思えなくもない。

1996年11月の大統領選挙でクリントン再選が決まった頃、米ドル高・円安はいよいよ114円を超えそうな動きとなっていた。するとそこで、当時「超円高」是正の功労者として「ミスター円」と呼ばれた財務省幹部の榊原氏が、「何か勘違いがあるようだ。私は円安に誘導しているわけではない」とあるインタビューで発言した。これを受けてその日のうちに米ドル/円は3円以上も急落となった。

これについて有名株式専門誌「バロンズ」が、「この日の主役は再選を決めたクリントンになるはずだったが、その主役を奪ったのはミスター円だった」と書いたほどのエピソードだったが、私はそれが「ベンツェン・シーリング」で発せられたことにより強い印象を持った。もしも「ミスター円」が円安の「ベンツェン・シーリング」突破阻止に動いたとしたら、それは日米間の「密約」に沿った行動だった可能性があったわけだ。

トランプ相場に「ベッセント・シーリング」はあるか?

以上から分かるのは、この頃の「通貨目標」には円高誘導と円安許容限度という2つの「目標」があったという可能性だ。日米間の為替調整に貿易不均衡是正の実効を期待するなら、一時的に円高にするだけでは不十分で、一定期間円安への戻りも制限する必要があるということだろう。

クリントン政権時代に125円から始まった円高誘導において、それより10円以上の円高水準の114円程度が円安許容上限、「ベンツェン・シーリング」だった可能性は興味深い。今回に例えるなら、161円から始まった「行き過ぎた円安」の是正において、トランプ政権が貿易不均衡是正で求める為替調整では、161円より10円以上の円高水準である150円程度が円安許容上限、「ベッセント・シーリング」になるのかもしれない。

1997年に入り、日本の大手金融機関の経営破綻などが相次ぎ「金融危機」の様相となると、今度は一転して止まらない円安に向かうところとなった。そうした中で、円安許容上限、「ベンツェン・シーリング」を大きく超えて米ドル高・円安が広がった。

さて、クリントン政権時代の円高誘導では、円安の許容上限と円高の誘導目標といった「通貨目標」を設定して進められたものだったのか。では今回のトランプ政権ではどうか。「ベンツェン・シーリング」も良く知っていると思われるベッセント財務長官は、「円安嫌い」を公言するトランプ大統領の意向もくむ形で円安許容上限「ベッセント・シーリング」を想定している可能性も注目されるところではないか。