クリントン円高誘導の90円目標説

1993年から始まったクリントン政権は、ポスト冷戦における対外不均衡是正を優先課題の1つに位置付け、最大の貿易赤字先である日本に対して円高への為替調整を求めた。それについては、1993年4月に行われた日米首脳会談終了後の記者会見で、クリントン大統領自身が「日米間の貿易不均衡是正に第1に有効なのは円高」と述べたことでも明らかだった。

1992年11月の大統領選挙で民主党のクリントン候補が圧勝してから間もなく、私は知り合いのNY在住の日本政府関係者から、「米ドル/円が90円になったら日本経済はどうなるのでしょうかね」と聞かれた。当時の米ドル/円は120円以上の水準で推移していた。米ドル最安値も118円程度だったので、それを大きく下回り90円まで米ドル安・円高になる世界を私は全く想像できなかった(図表1参照)。

【図表1】米ドル/円の推移(1980年~)
出所:リフィニティブ社データよりマネックス証券が作成

「全く想像もできませんが、おっしゃるからには具体的なシナリオがあるのですか」と私は聞いたが、それに対してその政府関係者は答えなかった。ただその頃から、フォードやクライスラーといった米自動車メーカー首脳、または著名エコノミストらによる「90円までの米ドル安・円高が必要」との発言が目立つようになった。

円安への戻りに歯止めをかけたベンツェン財務長官

そして、1993年1月、クリントン政権が発足する時に125円程度だった米ドル/円は、上述のクリントン大統領の発言など主に円高誘導発言をきっかけに、その年の8月には100円割れ寸前まで米ドル安・円高が実際に急ピッチで進むところとなった(図表2参照)。

【図表2】米ドル/円の推移(1993~1996年)
出所:リフィニティブ社データよりマネックス証券が作成

それでもこの年は、かろうじて100円割れは回避され、その後一旦米ドル/円は1994年1月にかけて反発に向かった。ただそこで当時のベンツェン財務長官が円安けん制発言を行い、それをきっかけに米ドル高・円安も114円程度で一巡、その後は米ドル安・円高再燃に向かった。

このベンツェン発言が飛び出した114円程度の水準こそ、クリントン政権が非公式に円安許容上限の目標に設定した水準という見方が、それからしばらくして密かに取り沙汰されるようになった。これこそが、1995年以降の米ドル/円が反発に転じた局面で、ヘッジファンドなどを中心に大いに話題を集めるところとなる「ベンツェン・シーリング」だった。

現実になった「円高90円」

1994年に米ドル/円の下落が再開すると、やがて1米ドル=100円の大台もついに割り込むところとなり、それは「超円高」と呼ばれた。そして1995年に入ると米ドル安・円高はさらに拡大し90円に達した。まさに2年以上前に知り合いの政府関係者から聞いた「円高90円時代」、そして米大手自動車メーカー首脳らが求めたことが現実になったのだった。

以上のように見ると90円という水準は、日米政府で共有された「密約」というものではないとしても、少なくとも円高誘導策に動いたクリントン政権内では1つの「目標」になっていたようには感じられる(後編に続く)。