昨晩、高校の同級生たちと久々に集まりました。私が通っていたのは、附属小学校・附属中学校からの内部進学が多い国立高校。私は高校受験でその高校に入学しました。小学生の頃は、地元の公立中学校に通い、その後はそのまま地元の公立高校を受験するものとぼんやり思い描いていましたが、それを変えたのはAくんとの出会いでした。
小学6年生のとき、地元の塾に通い始めてAくんに出会いました。中学校受験コースではなく、私はあくまで習い事の延長として入塾しました。同じクラスにいたAくんは、飛び抜けて優秀。彼にはいつも圧倒されつつも、ちょっとしたライバル心も芽生え、私自身のモチベーションにもつながっていました。彼は地元の第五中学校、私は第十中学校に進学するものだと思っていたのですが、ある日、塾の壁に「A氏、○○中学校合格!」と張り出されたときの衝撃といったら……。「受験コースちゃうかったのに!五中に行かへんの?!」とショックを受けたと同時に、初めてその学校の存在を知りました。
あの瞬間から、私の心には、「高校受験はその高校を受けてみよう」という目標が刻まれました。中学時代をその決意のもと過ごし、高校からの枠は20名ほどという狭き門の高校受験に挑戦。運よく合格した私は、高校で再びAくんに再会しました。彼はその後も輝かしい道を歩み続けます。史上最年少(当時17歳)で気象予報士に合格し、史上初の高校生予報士として話題を集め、大学時代は芸能界で活躍。さらに、保育士の資格を取って保育の現場に従事し、今は政治家です。
Aくんのキャリアは「マルチ」という言葉では片づけられませんが、本人はいたって自然体。興味が次々と目標に変わり、その目標達成のために努力を重ね、淡々と達成していきます。35年前、彼が私にくれた衝撃は今でも忘れられませんが、彼の志の高さや自分と向き合う真剣さは、そのまま私自身の人生にも影響を与え続けています。
昨夜集まった同級生も、それぞれの道で多彩に活躍しています。私たちの高校は「自由な校風」とよく言われますが、その本質は、個々の人間性を尊重し、自主・自立の精神を育てる環境にあったのだと思います。Aくんも、そして私たちも、その自由の中で成長してきたのです。
47歳となった今、Aくんはなおも私に刺激を与えてくれます。35年前のあの衝撃を胸に、私もまた、志高く、一歩一歩前に進んでいこうと、心に決めた夜でした。