◆一昨日の小欄(第27回 女の涙)にはたくさんのご意見をいただいた。批判も少なからずあった。「塩村さんが悪いみたいに書くな!」「男尊女卑」「セクハラ議員の肩を持つ気か!」「小泉首相が、涙は女の武器と発言して問題になったのを知らんのか」etc. いったい、どこをどう読めば、そのような解釈に至るのか理解に苦しむが、どこをどう読んで、どんなふうに解釈しようと読者の勝手だから、それは言うまい。

◆僕が女性蔑視的な考えを持っていると思われたなら、それは大いなる誤解であり遺憾である。僕は従前からジェンダー(性差)問題に積極的に言及してきた。女性の社会進出の意義や男女平等の素晴らしさを訴求してきた。(例えばこのレポート2012年12月6日『ダブルファンタジー』をご参照ください)

◆セクハラまがいの野次は最低だと思うし、発言した議員もバカだと思う。ただ、それは当たり前のことであり、フツーに誰もが言うことである。「アレは最低、あいつはバカ」なんてことは、ここで書くに値にしないから、違う角度からこの問題を取り上げた次第である。

◆僕が気になったのは、この都議会セクハラ野次問題の報道のされ方である。あまりに勧善懲悪の紋切型。日本社会の代表的一面と言えるだろう。「悪いやつを吊し上げて何が悪い!」だから「セクハラ議員の肩を持つ気か」と言われるのだろう。もちろんそんな気は毛頭ないが、これは議会で起こったことである。なおさら悪いじゃないかと思われるだろうか。政治家にとって議会は劇場でありパフォーマンスの場だ。女性に対する発言の適切・不適切、もっと言えば善悪という問題もあるが、別の側面は政治的パフォーマンスの「巧拙」の問題でもある。

◆セクハラ議員を糾弾するひとへ。議員を選んだのは都民の皆さんである。他に選択肢がなかったから仕方ない?ライフネット生命会長の出口治明さんがチャーチルのこんな言葉を紹介している。「政治家はみんなろくでもないやつばかり。選挙というのは、そのろくでもないやつのなかから、今の時代にあって税金を分けるのに相対的にマシなひとを選ぶ忍耐を選挙という」。

◆前回引用したサッチャーもチャーチルも英国の首相。紳士の国、英国にあってさえ政治家はろくでもないやつばかり、というのは昔からのことである。東京都議会がそんなに神聖なところだとでもいうのだろうか。どちらが正しくどちらが悪いと、100対0で勝負がついているような議論に乗っかって、「悪者」の品性を悪しざまにいうのは僕の趣味に合わないというだけのことである。出口さんはこうも話している。「『品格』という言葉を使うひとは、もうその時点で品格がないと思います」

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆