◆この前の日曜日に投開票された仙台市議選は5選挙区のうち4つで野党候補が最多得票し、そのうち3つは共産党候補がトップ当選した。民主党の公認候補も9人全員が当選した。明らかに自民党への逆風が吹いている。次の日曜日は埼玉の県知事選。その後は東北での地方選が続く。内閣支持率が急速に低下するなか、政治情勢から目が離せなくなってきた。
◆安倍政権の支持率低下は、安保法案を巡る政府・与党の姿勢に対する不信・不満の表れであることは言をまたない。その自覚があって然るべきなのに、むしろそうした不信感を逆なでするかのような呆れる発言が酷さを増している。磯崎首相補佐官の「法的安定性は関係ない」発言しかり、安保法案に反対する学生団体についての武藤衆院議員によるツイートしかりだ。
◆7月1日付【別冊 新潮流】で書いた通り、僕がレポートやセミナー等で政治の話をすると批判される。それでも語らずにはいられない。繰り返し述べているが、この日本株相場の上昇は政治の力によるものだ。だから政治について語ることはこの相場の根幹について語ることである。しかし、そうした相場観やストラテジストの視点とは別に、純粋に平和を希求する一市民として語りたいことがある。
◆抜群に面白かった浅丘ルリ子さんの「私の履歴書」連載が終わって残念と思っていたら、この8月は脚本家・倉本聡さんの「履歴書」が始まった。否が応でも期待が高まる。倉本作品はほとんど観てきた。大ファンなのである。その初回で、倉本さんはこう書いている。
<リベラリストを自任してたけれど、右寄りと言われたり、左と言われたりしてきた。(中略) 国を愛する気持ちはひと一倍だが、愛国心を強調すると右と批評される。国を守るのは大事なことだ。しかし、衆院を通過した安保法制には反対。戦争の臭いがするからだ。そうすると左とレッテルを貼られる。>
大作家に並び得るわけもないが、僕も同じだ。その気持ちはよくわかる。ヒステリックに安保法案反対を叫ぶことに疑問を呈すると右だと言われ、一方、強引な与党の姿勢を批判すると政治のことに口を出すなと叱られる。
◆究極的な平和のために安保法案は必要とする声がある。確かに「平和を望む」と言っていれば平和になるほど甘い世の中ではない。しかし、アインシュタインはこう語っている。「平和は力では保たれない。平和はただ分かり合うことで達成できる。」 <抑止力>などと言葉を変えても、結局は「力」を追求するだけのものなら、非常に危険だ。そのうちに、「分かり合うために<力>が必要」という詭弁が持ち出されてくるに違いない。
◆原爆の日の洗面に顔浸けて (平畑静塔)
広島への原爆投下は、午前8時15分だった。いろいろな思いが胸に去来し、祈りをささげたまま、この作者は洗面器から顔を上げられないでいるのだ。このメールが読者のもとに届く頃、本当の意味で70回目の広島忌を迎える。この時間に与党の政治家諸氏にも洗面器に顔をつけてもらいたい。すぐ顔を、上げられるものなら上げてみよ。
マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆