米石油大手の株主総会で起きた衝撃

2021年、ESG投資に関する企業と株主との対話において、その潮目を大きく変えた事例が誕生した。米石油大手エクソン・モービル(XOM)の株主総会で、米ヘッジファンドのエンジン・ナンバーワン(Engine No.1) が推薦した取締役候補4人のうち3人が株主の賛成多数を獲得し、選任されたのだ。このキャンペーンの成功は世界中の責任投資やESG投資に関わる識者に衝撃をもって受け止められた。

エンジン・ナンバーワンは、2020年に設立されたばかりの新興ヘッジファンドで、当初の運用資産は2億5,000万ドル。この運用資産は外部の投資家ではなく、創業者のクリス・ジェームズ氏自身からほぼ全額調達されたものだったという。エクソンの株主総会が実施されたタイミングで、同社の時価総額2500億ドルに対し、エンジン・ナンバーワンの保有割合はわずか0.02%(5000万ドル相当)だった。

当時は「小規模」とさえ形容されたエンジン・ナンバーワン。それでもエクソンに展開したキャンペーンはすぐさま米国最大の公的年金基金2社のカリフォルニア州公務員退職年金基金(通称カルパース)とカリフォルニア州教職員退職年金基金(通称カルスターズ)などから支持を受けることになった。

カルパースは、エクソンの株主総会でエンジン・ナンバーワンが指名した4人の候補者すべてに賛成票を投じた。そのほか、エンジン・ナンバーワンが推薦した取締役候補4人のうち、ブラックロックは3名、ステート・ストリートとバンガードは2名の選任に賛成するなど、米国内における民間の資産運用会社大手3社の同意を取り付けることにも成功した。

コロンビア大学ロースクールでコーポレート・ガバナンスを専門にするジョン・C・コーヒー教授は、2021年8月に取りまとめた研究で「エンジン・ナンバーワンの勝利は、小規模な株主でも多様な投資家の支持を得ることができれば大企業に対するキャンペーンを成功に導くきっかけになれるということを、疑う余地なく示した」と結論づけている。

また、エンジン・ナンバーワンがエクソンに推薦した取締役候補はエネルギー会社の元幹部や、石油精製会社でCEOを務めた人物、再生可能エネルギー会社の副社長、エネルギー業界を専門とする投資家で米国の連邦政府でエネルギー補佐官を務めた人物という顔ぶれであった。これらの候補がエクソンの企業価値向上のための適切な人選として投資家に評価されたことも成功の要因だろう。

エンジン・ナンバーワンが起点となり、投資家とともに石油大手に大きな変化をもたらしたこの事例は日本でも広く知られることとなった。筆者自身、同様の事例が日本企業でも起こりうるのかという質問を受けることがある。そこで、気候変動対策の不十分さを理由に日本の上場企業の取締役会のあり方について対話を求める株主・ステークホルダーや大手の年金基金が現時点でどのような行動に出ているのか、事例をもとに紹介したい。

欧州の年金基金、気候変動に厳しい姿勢を表明

まず日本企業に大きな影響力を行使しそうなのは欧州の年金基金だ。2023年2月に英ガーディアン紙はノルウェーの年金基金ファンド、Norges Bank Investment Management (NBIM) が、気候変動や人権侵害、役員会の多様性への取り組みを強化しない投資先企業については役員の選任に反対票を投じる方針であることを報じた。NBIMは約1.3兆ドルを運用し、2022年末時点で日本企業1,500社あまりの株式を保有している。

NBIMのガバナンス・コンプライアンス最高責任者のイヘアナチョ氏はガーディアン紙の取材に対して「企業が2050年までに(温室効果ガスの)排出量をゼロにする目標を設定することに、期待を強めています。企業は目標を設定し、どのように到達できるのか、私たちが理解できるようにシナリオを示してほしい」と語っている。NBIMは環境や社会に関する目標を設定または達成できないとして、少なくとも80社の取締役の選任に反対する方向という。

そして、既に欧州の年金基金が日本企業に対して大きな動きを見せた事例もある。複数のメディアが報じたところによると、2022年6月のトヨタ自動車(7203)の年次総会に向けてデンマークの年金基金Akademiker Pensionは、トヨタにロビー活動を見直すよう求めた株主提案を提出したものの、期限に間に合わず却下されたことがあった。

その影に隠れて大きく注目はされなかったものの、オランダに拠点を置く年金基金のPensioenfonds Werk En Re Integratie (PWRI) も気候変動対策を理由に同社の豊田章男社長(当時)の選任に反対票を投じていた(英調査会社のインサイティアのデータに基づく)。その理由を「同社のバッテリーEV(BEV)への移行に懸念を抱えている。2030年のBEV販売目標は同社の気候変動目標と整合しておらず、同社の資本的支出の十分な部分がBEV投資に割り当てられていない」としている。

取締役会の多様性と気候変動の両リスクを抱える企業も

年次総会の開催日が近く、多くのステークホルダー・投資家の注目を集めているのがキヤノン (7751) だ。2022年、同社の代表取締役会長兼社長CEOの御手洗冨士夫氏の選任には約25%の株主が反対票を投じた。

具体的には、Aviva Investors、ブラックロック、 BMO、 LGIM、Schroders、 T. Rowe Priceなどの海外大手投資家が同社の取締役会の多様性に関する懸念をその反対理由としていた。

年金基金からも、取締役会のガバナンスや多様性の理由でノルウェーのNBIMやカナダの年金基金 (Ontario Teachers' Pension Plan)やデンマークの年金基金(PKA)が反対票を投じた。

そして、2023年の株主総会では同社の気候変動リスクにも焦点が当てられた。豪NGOのAction Speaks Louder (ASL)はキヤノン傘下のキヤノングローバル戦略研究所(CIGS)が「気候科学に関する誤った情報を広め、化石燃料を推進し、日本のクリーンエネルギーへの移行を遅らせようとしている」と批判している。

特に同・研究主幹で気候変動懐疑派として知られる杉山大志氏の発信内容に関して「キヤノンの本当の意見を代弁しているのだろうか。気候変動を否定する人物を迎えて、キヤノンはどのような利益を得るのだろう」と大きな疑問を投げかけている。

筆者の取材に応じた豪・NGO「Action Speaks Louder」 の
ジェームズ・ロレンツ氏

ASL代表のジェームズ・ロレンツ氏は筆者に対して「キヤノンは2022年、取締役会の多様性についても投資家から警告が出ていたにもかかわらず、残念ながらほとんど変化がもたらされていないように見えます。私たちが指摘している気候変動リスクは同社のレピュテーションリスクでもあるのです。CIGSが発信する内容に対するキヤノンの立場のとり方は同社のガバナンスが好ましい状態でないことを示しています。これは同社だけではなく、同社の投資家にとっても大きなリスクではないでしょうか」と話した。 

ASLはCIGSの評議員会議長を務める御手洗氏らに対し、以下の行動を取ることを求めています。

●気候変動科学を否定するCIGSの研究主幹による出版物の販売が停止されるまで、CIGSへの支援を中止すべき
●キヤノンの幹部はCIGS研究員の見解に対して責任を負うべきであり、特に杉山氏による政府および気候変動に関する政府間パネル(IPCC)への関与をやめさせるべき
●さらに、CIGSの反科学的で化石燃料を支持する見解を決して支持しない、また自社のブランドがそうした極端な意見のためのプラットフォームとして使用されることを許しているガバナンス不足に関して公開審査を行うとする公式声明を発表すべき

同社が抱える気候変動リスクについては、香港に拠点を置くシンクタンクのTransition Asia も機関投資家にも同社の周知・働きかけを行っているという。そのうえで、同社に対して再生可能エネルギー調達において、より高いコミットメントを持ち、具体的な行動を起こすことや同社の温室効果ガスの削減目標を見直し、より野心的な目標を設定することを求めている。そして、ASLと同じく、杉山氏の誤解を招くようなメッセージを是正するために、何らかの対策を講じるべきとの見解だ。

もっとも、現時点では2023年の同社の年次総会で現経営陣に対してどれほどプレッシャーがかかるかどうかは不透明だ。同社が株主から取締役候補の選任議案を受けていることも確認できない。当然ながらキヤノンが現在直面している状況は、エクソンが2021年に経験した状況とは大きく異なり、比較することはできず、あくまで取締役会が関係する複数のESGに関するリスクが表面化している事例に過ぎない。

それでも、一般論として日本企業の経営陣が多方面からESGに関連するリスクを指摘されている場合において「日本でも気候変動と企業価値向上の分野の知見を持つ候補が取締役推薦され、株主による賛成多数で選任されることも十分考えうる。働きかけを行う企業に対する取締役の推薦は、気候変動に関する株主提案よりも企業行動を変える上で効果的かもしれない」(国外の株主擁護団体)との声もある。

日本で「エクソン式」の事例が誕生するのは、そう遠い未来ではないのかもしれない。