◆「犬ファースト」の暮らしをしている。何事も愛犬のことを第一に考える。週末は首都圏に外出自粛の要請が出された。悪天候の予報もあってスーパーマーケットには買い物客が押し寄せた。まっさきに考えたのは犬の食べ物のことである。彼の主食は鶏のささみだ。急いで買いに行ったが既に売り場のケースはみごとに空っぽだった。唯一残されていたのは、我が家の食卓には決して上ることのない高級ブランド鶏のパックが2つ。背に腹は代えられない。痛い出費となったが、愛犬にとっては「(スーパーの)棚から牡丹餅」だった。

◆相変わらずマスクの品薄状態が続いている。マスクはわかるがトイレットペーパーが店頭から消える理由がわからない。パニックに陥った時の人間心理の不思議だが、1970年代のオイルショックの時も同じだった。まだ子供だった僕も母親に手を引かれ「おひとり様一点限り」の列に並んでトイレットペーパーを買った覚えがある。

◆集合知という言葉がある。人間ひとりひとりの能力はたいしたことがないが、集合となるとそれなりの予測力を発揮したりするものだ。ただその反対に、人間は集団になると愚かな振る舞いをしてしまいがちである。群集心理は人間の愚かで醜い部分を引き出してしまう(例えば韓国映画『新感染』などが参考になる。ウイルス感染で巣ごもり中に見る映画としてうってつけである)。ひとびとの総意で決まる相場もまた群集心理に左右される。当然、誤ったプライスもつきやすい。ただ騒動が収まれば、トイレットペーパーやマスクだって店頭に戻ってくる。非常時の狼狽売りでついたミスプライスもいつかは是正されるのだ。

◆トイレットペーパーの買い占めは70年代のオイルショック時と同じと書いた。当時から何十年も経ち、世の中や生活様式が大きく変わっても、人間の心理と行動が変わらないのは不思議である。例えばトイレ事情も変わりトイレットペーパーの役割も変わった。これだけウォシュレットが普及しているのである。極論すればタオルで代用できる。シャワーの後にタオルで体を拭くのと同じではないか(あくまで極論であって、実際に僕がそうしているわけではない。誤解なきように)。我が家でトイレットペーパーを必要とするのは(極論すれば)犬だけである。散歩の時にしたものをペーパーに包んで持ち帰りそのままトイレに流せるので楽である。そんなわけでトイレットペーパーに関してもやっぱり「犬ファースト」なのである。