「鍵はグローバリゼーション」

政治リスクを専門とする著名コンサルティング・ファーム、ユーラシア・グループは、先に発表した報告書“Top Risks for 2020”の前文で「鍵はグローバリゼーション」と謳っている。実際、米中摩擦、ブレグジットを始めとするここ数年のイベントの多くは、自由化や国際協調に向けた熱意の薄れを懸念させるものだ。

背景にはリーダー不在のいわゆるGゼロといわれる状況があるとされる。新興国の台頭に伴うパワーバランスの変化を理由に、かつての大国がリーダーの役割を自ら放棄している。これによってもたらされているのは国際社会の分極化と国際ルールの機能低下だ。

こうした流れのなか、自由貿易の国際ルールをつかさどる世界貿易機関(WTO)はかつてない困難に直面している。

WTOの基本原則

WTOは自由貿易推進のため1995年、「関税及び貿易に関する一般協定(GATT)」をより強靭にする目的で設立された。現在加盟国は164、世界貿易の98%をカバーする。

同機関の役割を端的に言うなら、WTO協定(図表1)に基づくルールの管理・運用、および紛争解決ということになる。そしてWTO協定の基本原則は以下2本の柱から成っている。

・最恵国待遇原則(Most-Favoured-Nation Treatment)
貿易においてWTO加盟国全てを最恵国(Most-Favoured-Nation: MFN)扱いとし、特定の国を差別的に扱ってはならない(国によって異なる関税率を適用するなど)

・内国民待遇原則(National Treatment)
国内市場において国産品と輸入品を差別的に扱ってはならない(輸入数量規制、輸入品にのみ課される国内税など)

【図表1】
出所:WTO、経済産業省資料をもとに丸紅経済研究所作成

これら原則は必ずしも加盟国に制度の統一を強制するものではない。例えばMFNに適用される関税率(※1)は一定の制限を受けながらも、各国の事情を反映し国別に異なる。あくまでも加盟条件を満たした後は、他の加盟国に対し差別的な待遇をしてはならないというのが基本的なルールである。

最恵国待遇では一般的例外(GATT20条:公衆道徳や生命等に関わるもの)や安全保障例外(GATT21条:安全保障上重大な利益の保護に関するもの)等の例外があるが、もちろん濫用は認められない。また、関税同盟や自由貿易協定(FTA)等も最恵国待遇の例外にあたるが、これらには一定期間内にほぼ全ての関税を撤廃するなど、より厳しいスタンダードが要求される(GATT24条)。

協定の根幹を成す紛争解決機能

複雑化する世界貿易において、WTOの機能でますます重要性を帯びてくるのが加盟国間の紛争解決であることは明らかだ。何らかの強制力を伴った裁定、罰則がないと、ルールは実効性を発揮しない。

WTO協定では「紛争解決に係る規則および手続に関する了解(DSU)」のもと、紛争解決手続が規定されている。これは「紛争解決機関(DSB)」(図表2)が当事国間の調整を行い、ケースにより拘束力のある裁定を下すメカニズム。解決を見ていないものも含むと、これまでの紛争案件はWTO発足以降600件近くに達する(※2)。

【図表2】WTOの紛争解決機関
出所:経済産業省

貿易相手国のWTO協定違反により自国が不利益を被っていると判断した国は、当事国間の協議で解決できない場合DSBに当該案件を調査するパネル(小委員会)設置を要請できる。パネルは是正勧告を含む報告書を作成するが、その内容に納得できない当事国は上級委員会への申し立てが可能。上級委員会の報告がDSBに採択されればそれが最終勧告となる。

事案の複雑化に伴い、近年では上級委員会の審査に至るケースが増えている。そして今、実質的に機能を喪失しているのがこの上級委員会だ。

上級委員会の欠員で紛争解決機能が不全に

上級委員会は定員7名の委員から構成され、各委員の任期は4年。案件ごとの審査に必要となる委員数は3名だが、現在委員が1名しかいないという異常事態に陥っている。米国が委員選任プロセス開始に同意しておらず、2017年6月以降に任期切れとなった委員が補充されていないためだ。

米国は上級委員会が、(1)報告の期限(※3)を守れていない、(2)委員の任期切れ後も案件審査を継続、事実上任期の延長となっている、(3)紛争解決に関連しない勧告的意見を発出している、(4)加盟国の国内法に及ぶ審査をしている、(5)過去の報告書を先例とすることを義務化している ―― など、WTO協定で定められた権能を逸脱していると批判している。

WTOの機能不全を懸念する他の加盟国は、これら米国の批判に応えるべく複数の改革案を提示しているが、現在のところ米国がそれらを受け容れる気配はない。WTOへの不信感を隠さないトランプ米政権が、本気で改革を進める気があるのかにも疑問が残る。

貿易ルール不在の長期化は不透明感を高める。ルールの実効性が担保されていない現状を打開するには、早期のWTO改革が不可避となるだろう。

 

(※1)協定に付随する「譲許表(Schedules of Concessions)」(合意に基づく関税表)において規定

(※2)具体的事例は経済産業省「不公正貿易報告書」に詳しい(外部サイトに遷移します)

(※3)上訴から原則60日以内、最長でも90日以内


コラム執筆:田川 真一/丸紅株式会社 経済研究所 副所長