国連レポート、薬剤耐性菌増加は「危機的な状況」

2019年4月、国連は“No time to wait: securing the future from drug-resistant infections“と題した報告書を公表しました。

報告書の中で、抗菌薬が効かない薬剤耐性菌が世界的に増加、毎年少なくとも70万人が亡くなっているとして早急に対策を講じるように各国に求めるとともに、このまま何もしなければ、最悪のシナリオでは薬剤耐性感染症によって年間1,000万人が亡くなると警告しています。

さらに、その経済的なダメージは2008~2009年の世界金融危機に匹敵する恐れがあるとしています。

複数の大手製薬企業が抗菌薬の開発から撤退

抗菌薬の適正使用がなされることが前提ですが、薬剤耐性菌への対処法として切り札となるのは、それらに対して新規性・有効性を有する新薬です。しかしながら近年の業界の動向を踏まえると、それを強く期待できる状況にはないのかもしれません。

2018年7月にスイス製薬大手のノバルティスが抗菌薬の研究開発からの撤退を表明しました。同様の決定は、過去にも米ブリストル・マイヤーズ スクイブ、英アストラゼネカ、米イーライリリー、仏サノフィなど他の欧米大手製薬会社も行っています。

菌の薬剤耐性化が進む一方で、抗菌薬開発が停滞することで、薬剤耐性菌が蔓延した場合に被害の深刻化が懸念されます。

製薬企業が抗菌薬の開発から撤退する動きの背景として、投資に見合うリターンを見込むのが難しいことが挙げられます。製薬会社は多くの抗菌薬を売ろうとしますが、菌の薬剤耐性化を引き起こす可能性があることから慎重な使用が求められるため、数量拡大には制約があります。

また、実際に耐性化が進めば使用自体が回避されるでしょう。加えて、結核など一部の例外を除けば抗菌薬の処方期間は数日から数週間程度であり、数ヶ月や数年単位で処方される抗がん剤や慢性病治療薬に比べると販売数量は小さくなりがちです。

それでも価格が高ければ良いのですが、多くの国では抗菌薬の価格は低く抑えられています。

実際、米FDA(Food and Drug Administration:食品医薬品局)によって承認された抗菌薬の数は、最近こそ後述の開発促進プログラムの効果もあって持ち直し傾向が見られるものの、長期的には減少傾向にあります(図表1)。

【図表1】米FDAによって承認された新規抗菌薬の数
出所:OECD「Stemming the Superbug Tide」(2018)

抗菌薬のサブスクリプションモデル

新しい抗菌薬の開発が進まない状況が深刻な問題となっている中で、各国は様々なインセンティブを通じて製薬会社に抗菌薬の開発を促しています。

例えば米国では“The 10 x '20(2020年までに10薬剤を開発)”と銘打ち、抗菌薬の開発を促進しています。この一環として2011年に施行されたGAIN法(Generating Antibiotic Incentives Now Act:抗菌薬開発インセンティブ法)では、耐性菌感染症に対する新しい治療薬に対して5年間の排他的な販売期間の延長が認められました。

また、英国では、7月9日、NHS(National Health Service、国民保険サービス)がサブスクリプションモデルを使った抗菌薬に対する支払いプログラムの試験導入を発表しました。この方式では、従来のように医薬品の販売量に基づいて支払いが行なわれるのではなく、抗菌薬へのアクセスとの引き換えに製薬会社に対して前払いがなされます。

現在の販売数量に基づく支払い制度においては、製薬会社にはできるだけ多くの抗菌薬を販売しようとするインセンティブが働きますが、これは適正量を超えた抗菌薬の処方につながる恐れがあります。

一方、サブスクリプションモデルにおいては、薬の処方量と関係なく、有用性に基づいて支払いが行われるため、製薬会社には多く処方してもらおうとするインセンティブが働かず、適正使用の面でも一層寄与する可能性があります。

また、現在の制度では新たな抗菌薬が開発されても、将来耐性菌が蔓延した状況に備えて蓄えられるようなことになれば、直ちに販売量の増加に結びつかないため、新規の抗菌薬を早急に開発するインセンティブはそれほど高くありません。

しかし、サブスクリプションモデルでは有用とされる抗菌薬にアクセスが可能になった時点で前払いがなされますから、新規抗菌薬の開発を促すこともできます。

デジタルコンテンツやソフトウェアなどの分野で成功を収めたサブスクリプションモデルが、抗菌薬に対する画期的な支払い方式となることで、薬剤耐性菌といった人類の課題の解決にも貢献するのか、今後の動向に注目が集まります。


コラム執筆:近内 健/丸紅株式会社 丸紅経済研究所 産業調査チーム長