サンプラザ中野だー!とりあえず911は何事も無く過ぎ去ったようだ。本当に良かった。

俺は昨日911の日に東京の明治公園(神宮球場の近くにあり、よくフリーマーケットをやっている所だ)に行った。平和を考えようという集い
「Be−in」に参加してきた。参加してきたといっても、ただウロウロと展示物を見たり、ぶらぶらと人の話や歌を聞いただけだが。

真ん中にアメリカ原住民のテントがあった。中の広さは3畳くらい。靴を脱いで敷物に上がった。奥にランプがあった。そのランプの中に灯がともっていた。その灯には名前が付いていた。「原爆の灯」とあった。

友人が説明してくれた。
「この灯は広島の原爆の灯だ。とある人が、ずっと絶やすことなく守り続けてきたのだ」と。
感動した。ジワジワと鳥肌が立った。
その灯の前で手を合わせ、世界の平和を祈った。

ランプの横に本があった。「原爆の灯」とあった。開いてみると漢字にルビが振ってあった。小学生向けなのだろう。10分くらいで一気に読んだ。
あらすじを書く。

第二次大戦中のこと。九州の星のきれいな村から、ある青年が広島に出征した。広島では山間部の部隊と街中の本隊との伝令を任務としていた。街には書店を営む同じ村出身の叔父もいた。

8月のある朝、伝令に行く途中、列車の中で原爆にあった。列車の床に叩きつけられた。
地獄絵図の中を、なんとか任務を果たそうと本隊に向かった。しかし本隊の場所すらわからなかった。人々はのどの渇きを訴えながら、青年の足元で死んでいった。

青年は叔父の書店を探した。探し当てると防空壕の中にくすぶる火があった。本の燃えカスだった。青年はその火を叔父の亡骸の変わりに故郷に持って帰ろうと思った。出征のとき祖母がくれた懐炉があった。火を懐炉に移した。
戦争が終わり、青年は故郷に帰った。祖母は懐炉の火を嬉しがった。仏壇のロウソクに移した。平和の火だから、消さないようにしようと言った。囲炉裏にも移した。絶やすことの無いよう、みんなで守った。

20年たった。村長がやって来た。
「その灯を村のシンボルとして守りたい」と言った。
一家は喜んで灯を渡した。ガス灯となって灯は守られた。

さらに20年たった。多くの人々がやって来た。
ガス灯からランプに灯を移した。そして言った。
「これからこの灯を掲げて、平和を祈りながら世界中を歩いて回ります」。
それはピース・ウォークと呼ばれるムーブメントとなった。そして「原爆の灯」は今も守られているのです。

どう、いい話でしょ?株の話じゃ無くて失礼。

サンプラザ中野:数々の爆発的ヒット曲を生み出てきた「爆風スランプ」で活躍。現在はパッパラー河合と共に「スーパースランプ」として活動中。
自身のホームページでも意外な側面を見ることができる。
http://www.kk.iij4u.or.jp/~sunplaza/