トランプ氏の政策が予測不可能だと言われている。トランプ氏は政治経験が全くない素人で、交渉で優位に立つために自らのスタンスを意図的に不明瞭にし、環境や人権といった国際社会が築き上げてきた価値を軽視するから、というのがその理由だ。
確かに、トランプ氏が2016年12月に台湾の蔡英文総統と電話会談し、台湾を中国の一部とみなす「一つの中国」の原則に縛られないと発言したことは、世界に衝撃を与えた。「軽々に発言し、政治経験のなさを露呈」、「中国との通商交渉で優位に立つための戦略」、「これまでの国際秩序を軽視」という指摘について、それぞれその通りだと考えることもできる。
しかし、「だから、トランプ氏の外交方針は予測できない」と結論づけるのでは、国際政治の潮流を読む上で大きなマイナスだ。一見、支離滅裂に感じられるトランプ氏の発言だが、トランプ氏が尊敬するキッシンジャー氏の視点から読み解くと、綺麗な外交方針が浮かび上がってくる。1970年代に米国サイドで「一つの中国」政策を形作ったキッシンジャー氏の対中政策から歴史を振り返ってみたい。
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1951年9月8日、日本はサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約2条(b)で、台湾に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄した。その後、米国は朝鮮戦争において台湾を米国の防衛ラインの中に組み込み、1954年12月2日に台湾の中華民国と米華相互防衛条約を結んでいる。米国は、中国本土の共産党政府ではなく台湾の国民党政府を支持し、軍事支援を続けたのである。
この方針が大きく変わったのが1971年7月9日。パキスタン訪問中のキッシンジャー氏は「胃腸の具合が悪いので休む」という口実を使い、極秘裏に北京に飛んだ。長期化するベトナム戦争を収拾するため、またソ連を封じ込めるために中国本土の共産党政府と会談し、米中関係正常化について話し合ったのである。
翌年、ニクソン大統領が北京を訪問して米中対立に終止符を打ち、1973年にはベトナムにおける戦争を終結させ平和を回復するための協定が調印され、キッシンジャー氏はノーベル平和賞を受賞した。
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1971年にキッシンジャー氏が中国に歩み寄った理由は、ベトナム戦争から名誉ある撤退を完遂し、1970年代当時の超大国であったソ連を封じ込めるためであった。キッシンジャー氏は、中国は一つであるべきだといった理念を尊重したのではなく、国家間の力の均衡を保つことにただただ腐心したのである。
これを2017年に当てはめると、1970年当時にソ連だった封じ込め相手は中国に、ベトナム戦争はISIS掃討作戦に、関係を修復する相手は中国ではなくロシアになる。力の均衡論者であるキッシンジャー氏ならば、2017年の適切な外交方針は「ロシアとの関係を修復し、ISISを掃討し、中国を封じ込めること」だと考えるのではないだろうか。親ロシアと言われるティラーソン氏が国務長官に指名され、イラク・アフガニスタンでの指揮経験があるマティス氏が国防長官に指名されたことも、この考えの傍証となる。
「一つの中国」の原則に縛られないというトランプ氏の言動は、1970年代以降の米国の対中政策からみると支離滅裂に感じられるかもしれないが、45年前に「一つの中国」政策を形成した時の考え方、即ち「力の均衡」の観点から見ると首尾一貫している。
1972年の共和党大統領が力の均衡のために中国共産党に歩み寄ったように、2017年の共和党大統領が力の均衡のために中国に揺さぶりをかけていると考えると、筋道の通った外交方針が見えてくるのである。
コラム執筆:重吉 玄徳/丸紅株式会社 丸紅経済研究所
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