近年、北極海の氷が減少しています。過去100年間の北極圏の気温上昇幅は全世界平均の約2倍と報告されており、氷が溶けたのは地球温暖化の影響と見られます。この結果、欧州と東アジアを結ぶ新たな航海ルートとして、北極海への期待が高まっています。北極海を通って欧州と東アジアを結ぶ実用的な航路には、カナダ側の北西航路とロシア側の北東航路の2本が存在しますが、近年注目されているのはロシア側の北東航路です。北東航路は北極海航路(NSR)とも呼ばれます。NSRの商業運行がはじまった2010年にこのルートを航行した船舶はわずか4隻でしたが、2013年には71隻と、その数は急速に拡大しています。
北極海航路が注目される理由の一つは、航行距離短縮による時間とコストの削減です。欧州と東アジアを結ぶ航海ルートは、通常は南回りになります。エジプトのスエズ運河を通るか、アフリカの喜望峰を回るルートです。しかし、北極海を通る場合、その距離は大きく短縮されます。たとえば、日本からオランダのロッテルダムへの航行距離は、スエズ運河を通るルートに比べて約3割短くなり、航海日数は計算上では10日程度の節約となります。北極海航路の欧州側の入り口であるロシアのムルマンスクまでであれば、距離も航海日数も半分程度です。割高とされる輸送コスト(後述)も、現状では北極海航路を現実的な航路としたいロシア政府によって大幅な引き下げが行われており、タンカーやバルク船の輸送コストは、南回りよりも有利になるケースが報告されています。

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出所:Wikimedia Commons画像に筆者加筆

また、北極海航路を使うことで、南回りルートにおけるチョークポイントを回避できるというメリットもあります。中東の地政学的リスクに起因するスエズ運河の封鎖や、ソマリア沖やマラッカ海峡における海賊被害を懸念する必要がなくなります。特に南回りの航路上に領有権問題を抱える中国にとっては、いざというときのシーレーンとしての政治的な活用も視野に入っていると見られます。
さらに、北極圏に眠る資源の活用に向けて、この航路の将来性が高いことも大きな理由です。ロシア北極圏に位置するヤマル半島ではLNGプロジェクトが進行しており、2016年からの輸出が予定されています。また、米地質調査所(USGS)によると、北極圏には未発見の石油・天然ガス資源が、原油換算で4,122億バレル存在するとされています。これは、2012年の可採埋蔵量(BP統計ベース)に対して14%に相当する量です。北極海航路はロシアをはじめ北極圏の国・資源開発企業にとって、この地域の資源を需要地である東アジアに運ぶ有用な経路です。また、日本を初めとする東アジア諸国にとっては、新たな資源調達を可能にする夢の航路といえます。
もっとも、北極海航路には依然として限界があります。この航路が商業的に成功するためには、厳しい気候条件、高い運行コスト、寄港地のインフラ未整備という問題をクリアする必要があります。
まず、気候条件です。昔より海氷が小さくなったとはいえ、この航路が商業的に運行可能なのは、今のところ、氷が薄くなる6月末から11月の約5ヶ月間のみです。また、運行速度もその時の気象条件に左右されます。さらに、海氷の上では夏でも最高気温がほぼ0度です。そのため現時点で運送可能な貨物は、定期性や定時性が求められず、かつ、温度差に強いものに限定されます。
次に、コストの問題です。北極海航路の航行は、ロシアの許可が必要です。また、船舶は耐氷船でなくてはならず、また、安全な航行を可能とするために砕氷船のエスコートが義務付けられています。そして、保険料は南回りに比べてかなり割高です。加えて、航路は全般的に水深が浅いため、現状では超大型タンカーの運行は難しいと言われます。そのため、許認可取得費用、運行船舶や砕氷船のチャーター料、保険料などが通常のレートであれば、いくら燃料費を節約できたとしても、南回りルートよりも相当割高になります。
さらに、インフラの問題です。寄港地となる港湾の設備は十分ではない上、老朽化しているといわれます。ロシアは港湾整備を進めていると言われますが、現状では、定期船の修理や救難の受け入れ等への対応は難しい状態と見られています。
北極海航路が抱える課題は小さくないものの、上に挙げたようなメリットに加え、北極海の利用に対する各国の戦略が、この航路開拓に向けて大きく舵を切らせているようです。その立役者は、北極海航路を欧州とアジアを結ぶ大動脈に発展させ自国の資源輸出を有利に進めたいロシアと、北極圏への進出を狙う中国です。さらに、東日本大震災による東アジアのエネルギー需要の増加と、米国のシェールガス革命の余波から新たな販路を求める北欧産油国の思惑が、これを後押ししているようです。
中国は2013年4月に欧州の国相手としては初のFTAをアイスランドと締結しましたが、このFTA締結は、北極海の利用を視野に入れたものと見られています。そして同年5月に、日本など5カ国と同時に北極圏に係る共通の課題を議論する北極海協議会(AC)へのオブザーバー資格の承認を獲得しました。6月には中国国営石油会社(CNPC)が上述のヤマルLNGプロジェクトへの参画で合意、そして9月には、自国籍の商業船で初めて北極海航路の商業運行を実現させています。また、2013年12月には、世界的なエネルギー企業17社が共同で北極圏にあるノルウェー沖探査鉱区の海底調査に乗り出すことが報じられています。
今後、北極海の海氷が小さくなり続けるとは限りません。気候変動の決着を見るのは、気の遠くなるような未来を待つ必要があります。しかし、目の前には以前に比べて航海が容易になった北極海が広がっているのが現実です。このチャンスを生かすための各国の競争は既に始まっています。日本にとっても安全保障の観点からエネルギー輸入経路の分散化は喫緊の課題であり、この競争の行方から今後も目が離せそうにありません。

コラム執筆:村井美恵/丸紅株式会社 丸紅経済研究所

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