複数の人が話し合って、何かに合意する。そういう場合、本当に何に合意したかが分かりにくい時があります。私が常々思ってきたのは、事実はひとつだが真実は複数あり得るということ。真実が複数とはちょっと云い過ぎかも知れませんが、ひとつの事実が複数の説明のされ方をされることは、良くあることです。あたかもひとつの物体を円の真ん中に置いて、その円の或る場所からその物体を見た様子を説明すると、視点が円上を移動していくにつれ、何通りもの観察・説明の仕方があるが如くです。本当の事実は何かを知るためには、CTスキャンの画像を再構成するように、多くの視点からの観察情報を収集し、真ん中にあったものの本当の姿形を考えねばなりません。このような考え方を、私はいつも大切にしています。暫くまたその作業をせねばなりませんかね。良い週末を。