かつて、会社法上の株式会社に求められていないことを上場会社にだけ求めるのはおかしい、との主旨のことを述べられた閣僚の方がいらっしゃいましたが、私には違和感がありました。全国300万の株式会社・有限会社の中で、たった3000の上場企業は、1000分の1のスーパーエリートです。ですから当然上場企業にはより厳しい行動規範とかモラルが要求されるべきでしょう。アメリカでは一般的な会社法は州法のレベルであり、上場企業を規制する法、上場し公開市場を流通する株式の在り方を規制する法は基本的に連邦法レベルですから、この点はクリアに二段階に規定されています。しかし日本ではこのようなクリアな法構造になっていないので、主体(この場合では上場企業)の自制などが望まれる、法と法の"あいだ"のような領域が存在するのです。

経営者も人間であり、様々な権利がありますが、その権利の行使は、自らが制さなければいけない部分が多くあると思います。経営者に限らず、広く公人であれば当然で、或いはまた"誰であっても"、権利の行使は、良く考えて、社会の要請や、法の趣旨、自らの目的に照らして、その範囲を自ら決めねばならないでしょう。権利を予め制限し過ぎると息苦しかったり、或いは権利が保障されていないと危険で、様々な問題がありますから、権利は広めに約束され、しかしそれは全て行使していい訳ではなく、行使すべき権利と約束された権利には、"あいだ"が存在するのだと思います。

この"あいだ"こそが、文化と文明と共に存在するものであり、この"あいだ"のどこまでを使うかは、自分で決めるものではありますが、影響力の大きい人は、自らの考えや行動を詳らかに説明する必要がある、少なくとも説明することが望ましいと思います。開示責任・説明責任は、資本市場の中では馴染みの深い概念ですが、なべて社会全般に於いて、様々な重要な意味を持っていると思います。