昨晩、「恋愛コミュニケーションをサポートするAIエージェント」の話を聞く機会がありました。理性を超える感情、期待、恐怖、そして「正しさがいつも正義ではない」という曖昧な余白がある世界において、果たして相手の心に寄り添うAIが存在するのか。その話に耳を傾けながら、しみじみと「人間ってなんだろう」と考えていました。

テクノロジーの進化によって、「覚える」「書く」「話す」といった、かつては人間の知性や教養の証だった営みが、次々と代替されつつあります。私自身、インターネットが普及してから明らかに漢字を忘れ、覚えることをしなくなったと感じています。そして今や「話すこと」すら、AIが担う時代なのかと驚くばかりです。

合理化と効率化が当たり前のように進むなかで、「人間の本質的な価値とは何だろう?」という問いが浮かびます。その答えは、むしろ非効率の中にあるのではないかと思います。

前にもこのつぶやきで書きましたが、人間は忘れることができます。AIのように完全に記憶し続けるのではなく、不完全で、曖昧で、時に都合よく書き換える。でもだからこそ、悲しみを癒し、傷を和らげ、誰かを許すこともできる。忘却とは、ある種の優しさであり、自由なのかもしれません。

また、人間は無駄を愛します。意味もなく街を歩いたり、夜通し語り合ったり、二日酔いは嫌なのに飲みすぎたり。何の生産性もない時間のなかで、自分を見出すことがあります。そして人は、合理的でないものに夢中になれます。利益の出ない創作、説明のできない衝動、やめられないこだわり。「好きだから」―それだけで動けるのが人間です。そういえば、何年も前に、「なぜマネックスに長くいるの?」と聞かれたとき、気づいたら「好きだから」と答えていました。

AIは最適解を出す存在である一方で、人間は最適でないことにこそ没頭する力を持っています。効率を重んじる世界のなかで、あえて非効率に身を投じることで、「生きている」という実感を取り戻しているのかもしれません。怠惰もまた、人間の味方です。やる気が出ない日や、先延ばしにしてしまう夜。それは、心が回復するために必要な時間ともいえます。

人間の価値は、完璧さや速さではなく、揺らぎの中で見つけた感情や問いの中に宿っているのではないでしょうか。未来がどれだけ合理的になっても、この非効率で不完全な「人間らしさ」は、きっと残り続けるはずです。非効率で不完全だからこそ、曖昧さや違和感の中に問いを立て、意味を与え、共感を創ることができる。人間ってやっぱり素晴らしいですね。

そんなふうに考えつつも、仕事においては、今年度のテーマのひとつは「AI活用」です。AIと向き合いながらも、人間らしく!ときにはちょっと羽目を外したり、バカ話で盛り上がったり、あえて合理的でない挑戦に飛び込んで、自分たちの想像を超えていけたらいいなと思います。