今日、日中に、動揺することがありました。動揺も高い水準になると色々な部分に影響が出ます。人にはキャパシティというものがあり、それは器のようなものであり、コップほどの大きさだったり、風呂桶ほどの大きさだったり、或いは池や湖ほどのキャパシティを持った人もいるでしょう。そのキャパシティの中に水が張られている。動揺とはその水面に投げ入れられる石のようなものでしょうか。その作用として、当然波が起きます。その波が器の外に出るか否かは、元々の器、即ちキャパシティの大きさ、どこまで水が張られているかというその時点でのその人が抱えている問題の状態、そして動揺という石の大きさによって決まるでしょう。三つの条件が或る方向で重なった時、水は溢れます。

それはそれとして、動揺の本質とは何でしょうか?自分がそもそも知っているか知らなかったかは、どちらの方が動揺の要素になるでしょうか?自分にとって正しい・合っていることと、間違っている・ずれていることでは、どちらの方が大きな動揺になるでしょうか?そして動揺は人に対して、一体どのような作用を最終的にもたらすのでしょうか?なにやら心理学的な話になってしまいましたが、動揺の本質をちょっと考えてみたいと思います。動揺しているせいか、訳の分からない話ですみません。失礼致しました。