2009年、平成21年丑年の納会がやってきました。今年から株式市場は半ドンではなく全日です。思い起こせば一年ほど前、納会と発会の日の立ち会いを半日のままでいいのか全日にするのかを決議する東証の取締役会に、私は社外取締役として出席していました。

それに先だって証券会社の社長宛てにアンケート調査が行われたのですが、今まで通り(納会も発会も半日立ち会い)、納会を一日前倒しした上で全日、納会も発会も日にちは変えずに全日、などの選択肢の中から、普段は案外古臭いことを云う証券会社の社長衆も、急に、或いは思わず、先進的・合理的なことを云ってカッコをつけ(もし証券会社の社長が読んでいたら失礼をお許し下さい。私も同類です)、現代に於いて世界の常識を考えると立会日は減らさずにしかも全日にすべきだ、との優等生的回答が圧倒的だったのです。

そして東証の取締役会でもそのように決議されました。私も賛成してしまいました。すいません。後悔してます(注:下記※参照)。納会・発会は昼から飲み始められて独特の情緒があったものを。特に納会は、一年間に溜めた不義理を埋めるために、場合によっては年を越えないようにツケを払うために、各所をハシゴして回りながら酔いが増すと云う恒例の私的行事があったのですが、それも出来ません。伝統をアッサリ捨ててしまいましたが、「後悔先に立たず」と云うことをつくづく思い知らされます。
(※但し昼から飲みに行けるのは社長だけだったかも知れません。後悔してるのは社長だけか。お客様にとってもマーケットにとってもいいことですね。すいません・アゲイン。)

今時、例年私は、「良いお年を」と云う言葉をよく使います。年末の挨拶に来られた方をエレベーターでお見送りする時。或いはタクシーで、料金を払って降車する時。毎年、云われた相手は、嬉しそうに復唱するものでした。ところが何故か今年は、皆、不意を突かれたような反応だったり無反応だったりします。不思議です。云われたほうに、実感が沸かないのでしょうか?来年に向けての期待感がないからでしょうか?なんとなくさもありなんと云う気はします。
しかしそれではいけないと私は思うのです。誰かに期待してもしょうがない。未来は自ら切り拓くものです。期待は自ら持つのです。少なくとも証券会社としては、前向きに来年を、良い年を、迎えたいと思います。皆様、一年間ありがとうございました。来年もよろしくお願い申し上げます。