週末から既に東京にいるのですが、大連での話をもうひとつだけさせて下さい。2年前、初めて大連に行った時は、ボランティアで会議をサポートしている現地の大学生の英語の上手さ、或いは上手ではなくとも何とか英語を使おう、英語でサービスしようと云う強い意志に感心しました。しかし今回はそう感じませんでした。コスト削減で英語の上手な人を使えなかったと云うことはないでしょう。何故ならボランティアですから。と云うことは、英語が上手な学生、もしくは英語を何とか使おうという学生がボランティアに手を挙げなかったか、もしくはそもそもそう云う意志が、大連の大学生の間で落ちてきたと云うことでしょうか。

前回は初めてのダボス会議@大連だったので、大学生が強い興味を持ったと云う仮説は立ち得ます。しかし私には、世界に於ける中国の存在感の急速な成長が、大連の大学生にも微妙に悪い方向で影響を与えているのではないかとも思えるのです。かつて、或いは今も、日本が抱えた(抱えている)最大の問題、"慢心"です。中国が様々な小波を伴いながら、大きな波として上昇していくことは確かです。しかしこの手の小波は、注意して見ていく必要がありそうですね。