多忙でとても目上の人、正真正銘の大人物と初めて面会するのは、中々大変なことです。これを大面会と勝手に名付けました。滅多に緊張することのない私ですが、それでも緊張することがあり、それは心身共に消耗します。無駄な時間を過ごさせてはいけないと思い、そうさせないように思考を瞬時に繰り返しますので、これまた疲弊します。

コミュニケーションは常に総力戦ですから、その人「全体」を、私「全体」で知覚して、また私「全体」で、その人「全体」に何かを伝えようとしますから、これまた全ての細胞がエネルギーを消費します。しかし何よりも一番難しく、神経と技術と気力の全てを費やすのが、自分をそのままの形と大きさで、相手に認識してもらうことです。

コミュニケーションの主役はあくまでも相手です。ですから自分から自分を発信するのではなく、相手に自分を等身大・相似形、即ち合同の形で「発見」してもらえるように努力しなければいけません。これがとにかく大変です。グラウンドに転がった或る石が、多忙でかつ通常空を見上げている人に、どうしたら見つけられるか?しかも限られた時間の中で。石が言葉や光を発すれば、簡単に見つけられるかも知れませんが、それは既に本来の石の姿ではありません。音もなく、色もなく、大きさも変えずに、その人の視界に入るように移動を続ける、そんなイメージでしょうか。知恵・神経・運動、これら全知全能をフル回転にした「受け身」とでも云いましょうか。何やら武術のようになってきましたが、大面会とはそう云うものだと、不惑を三年過ぎて、ようやく知るに至りました。