ロンドンでテロが起きました。全くもって許せない行為です。これらのテロは、或る特定の集団が、或る特定の場所や人だけを狙っているのではなく、或る思想に操られた(共鳴した)不特定の集団が、不特定の場所と人を対象として行われているので、防ぎようがないように思われます。しかし果たしてそうでしょうか?不特定者による不特定者に対する攻撃だとすると、私たちの近くにもテロリスト関係者が居るかも知れませんし、私たちもいつ犠牲者になるか分かりません。

自分の行うちょっとした行為が、巡り巡ってテロリストを助けることになってないか、注意深く想像することは出来ますし、みんながそうすれば、一定の抑止力にならないでしょうか?自分も犠牲者になるかも知れないとみんなが感じられれば、その恐怖感が、テロリスト側の末端実行者に感染し、やはり一定の抑止力にならないでしょうか?狼狽して株式市場を売ることは、テロリストに利することになるかも知れません。何故ならテロに対する不安から株式市場が売られるかも知れないと予め知っていたのはテロリスト自身ですから、彼らはそうなれば儲かるように予め準備をしていたかも知れませんから。問題の根源は、人の命の重さが違うことがいけないのだと思います。

世界的な貧富の差を減らさなければ、自らの命をたやすく捨ててテロをする者が絶えないでしょう。「死にたくない」という、私たちにとって極めて当たり前の感情を、テロリスト側の一人でも多くの人間に持たせることが出来れば、テロは減っていくでしょう。宗教が自分の死に対する恐怖感を取り除くとすると、それはテロを起こしやすくさせる危険があります。テロとの戦いは、全てこの「死に対する恐怖」を広げることではないでしょうか。世界の指導者たちも含めて、慎重な対応が求められていると思います。