「四十にして惑わず」(四十而不惑)。これは孔子の論語為政の中の有名な言葉です。しかし、この「惑わない」というのは、一体本意は何処にあるのでしょう。人生の目標をようやくしっかりと見極めるということでしょうか。目標を見定めるのは、様々な選択肢の中から好きなものを取り出すだけの力が備わるからでしょうか。それとも選択肢が徐々に狭まっていき、一つの目標に辿り着いてしまうということでしょうか。誘惑されない、という意味だとすると、それは分別が付くからでしょうか、それとも魅力がなくなるからでしょうか。孔子はまたこの言葉を自分はそうであったという意味で言ったのでしょうか、それとも”あるべき論”として言ったのでしょうか。
そもそも「惑わないこと」は、本当にいいことなのか、私には疑問があります。悩まずに進歩があるのでしょうか。惑いを消すというのは、知的な脳活動を停止させるということではないのでしょうか。「不惑」という観念は、極めて儒教的・東洋的であり、例えばラテン系の考えからは遠くかけ離れたもののように思えます。こうした名文句が一人歩きをして、無意識のうちに25世紀経った今も人生観に影響を与えているというのは、驚嘆すべきことです。しかし同時に、そういった「言葉」に惑わされてもいけないと、不惑を目前にふと思うのでした。(屁理屈でしょうかね)
- 松本 大
- マネックスグループ株式会社 取締役会議長 兼 代表執行役会長、マネックス証券 ファウンダー
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ソロモン・ブラザーズ・アジア証券会社を経て、ゴールドマン・サックス証券会社に勤務。1994年、30歳で当時同社最年少ゼネラル・パートナー(共同経営者)に就任。1999年、ソニー株式会社との共同出資で株式会社マネックス(現マネックス証券株式会社)を設立。2004年にはマネックス・ビーンズ・ホールディングス株式会社(現マネックスグループ株式会社)を設立し、以来2023年6月までCEOを務め、現在代表執行役会長。株式会社東京証券取引所の社外取締役を2008年から2013年まで務めたほか、数社の上場企業の社外取締役を歴任。現在、米マスターカードの社外取締役、Human Rights Watchの国際理事会副会長、国際文化会館の評議員も務める。