本日、半蔵門の近くにある会社を訪問しました。半蔵門の辺りは内堀通りの中で、最も標高の高い場所です。想像を巡らすと、色々と興味深いことが見えてきます。半蔵門は服部半蔵とその末裔が護っていた門なので半蔵門と呼ばれます。漫画のサスケのお父さんの大猿大助とその仲間である霧隠才蔵(共に甲賀忍者)の宿命の敵である服部半蔵(伊賀忍者)はフィクションであるとも言われますが、徳川家康時代の武将であり、伊賀者の頭であった服部半蔵は1542年から1596年まで実在した人物です。半蔵は家康の信任が大変厚かったので、最も高い位置にある門で、辺りをよく見回せる所から江戸城を護らせたのでしょう。実際、半蔵門周辺に立つと、桜田門から幕閣の屋敷が建ち並んでいた祝田橋、日比谷周辺まで良く見渡せます。半蔵門はまた、主要の街道の中で唯一江戸城に真っ直ぐ繋がっている甲州街道と江戸城の接点でもあります。恐らくこれはいざという時に、一気に甲府城まで逃げられるように作られていたのでしょう。新宿の大木戸までたったの2キロ程度であり、江戸城の回りに拡がる「江戸」という町の中で、明らかにそのドーナツ部分がもっとも薄い地域です。軍事上のリスク管理から、敢えてシンプルに町を作り、番町に親衛隊を配したのでしょうか。そして甲府藩は基本的に天領であり、代々徳川直系が治めました。唯一の例外が、以前にもつぶやいたことのある将軍綱吉の寵愛を受けた柳沢吉保とその子(綱吉のことも言われている)吉里だけです。う〜ん、想像は尽きません。こう考えると、江戸時代は遠い過去のようで、まだまだ残り香はいくらでもありますね。