国際会議での定番のテーマの1つにグローバリゼーションがあります。
日本ではグローバリゼーションというと、会計に於ける時価評価の導入の是非や、企業統治の話などが議論の中心になったりしますが、欧米では農業産品絡みの補助金や自由貿易の話が中心になったりします。
例えば、南米のコーヒー豆生産農家に、より正当に代金を払うべきだとか、そういった議論です。アンチ・グローバリゼーションの声もありますが、それは『ルールを決めるのが誰か』という論点が中心で、私はいずれも大きな視点を落としているのではないかと思います。グローバリゼーションは打ち出の小槌ではありません。グローバリゼーションは、或る意味で先進国と発展途上国の差を減らすことであり、発展途上国が豊かになれば、多かれ少なかれ先進国が貧しくなるでしょう。例えば『発展途上国の人々にもっと購買力を付けよう』というスローガンは美しいのですが、その為には発展途上国の人々に多くの職を創出しなければならず、それは即ち安い労働力が市場に大量に持ち込まれることであり、強烈なデフレ圧力を先進諸国にもたらすことになるでしょう。果たして我々は、気持ちの奥底で、そのことに対する準備が出来ているのでしょうか?国際会議には、様々な素晴らしい効用があります。特に参加している人達にとっては、得るものが大変多くあるでしょう。しかし、イスラム社会からの参加が極めて少なく、北半球・西欧・キリスト教的社会の中で、表面的に話し合っているだけで終わっている会議が殆どだと思われます。真のグローバリゼーションは、この問題について正面から取り組むところから始まるのではないでしょうか。