毎年忠臣蔵はテレビで見るのですが、今年は見損ねました。忙しくてゆっくりテレビを眺める時間がなかったのですが、そもそも放映されたかどうかもよく知りません。
赤穂浪士が吉良家に討ち入りしたのは12月14日の夜から翌朝にかけてですが、旧暦ですから今でいうと1月の半ばでしょうか。そう考えるとあの雪景色も納得がいきます。大石内蔵助が本当に強い意志で敵を欺くために一年以上京都で遊んだふりをしていたのか、仇を取るだろうという強いプレッシャーに堪えられずに飲んだくれていたら、成り行き上やはり討ち入りをしなければいけなくなったのか、真実はもう誰も知りません。そもそも元禄時代の幕府といったら強力な警察力を誇っていたでしょうから、討ち入りを抑えようとしたら出来た筈であって、全てが武士道とか道徳感を流布するための幕府の脚本だったようにも思われます。しかし忠臣蔵は忠臣蔵であり、今私が書いたような説は口に出すこともおこがましいことだったのでしょう。そこに我が国の多様性のなさというか、いきおい全体主義的になり兼ねない危険性を感じます。でもやっぱり見たくなりますね!