確か司馬遼太郎だったと思いますが、今のいわゆる「標準語」は江戸語というか東京語ではなく、全国からいろいろな言葉を寄せ集めてきて作った人工語だといいます。その際明治政府は、欧米の先進国と渡り合って行くためには論理的な議論が出来なくてはダメで、そのためには議論をするのに、或いは論理的な思考をするのに相応しい言葉があると考えたそうです。要は丸い言葉よりも四角い言葉の方がいいと思ったのでしょうか。当時標準語制作プロジェクトの人が土佐の街に出掛けて、こっちのテーブルでもあっちのテーブルでもみんなお酒を飲みながら快活に歯切れのいい言葉でいろいろな議論を戦わせていたのを聞いて、土佐の言葉を標準語に大きく採用したといいます。そして明治初期の中央政府に任命された国語教師は高知の人が多かったといいます。本当でしょうか?