確か司馬遼太郎だったと思いますが、今のいわゆる「標準語」は江戸語というか東京語ではなく、全国からいろいろな言葉を寄せ集めてきて作った人工語だといいます。その際明治政府は、欧米の先進国と渡り合って行くためには論理的な議論が出来なくてはダメで、そのためには議論をするのに、或いは論理的な思考をするのに相応しい言葉があると考えたそうです。要は丸い言葉よりも四角い言葉の方がいいと思ったのでしょうか。当時標準語制作プロジェクトの人が土佐の街に出掛けて、こっちのテーブルでもあっちのテーブルでもみんなお酒を飲みながら快活に歯切れのいい言葉でいろいろな議論を戦わせていたのを聞いて、土佐の言葉を標準語に大きく採用したといいます。そして明治初期の中央政府に任命された国語教師は高知の人が多かったといいます。本当でしょうか?
- 松本 大
- マネックスグループ株式会社 取締役会議長 兼 代表執行役会長、マネックス証券 ファウンダー
-
ソロモン・ブラザーズ・アジア証券会社を経て、ゴールドマン・サックス証券会社に勤務。1994年、30歳で当時同社最年少ゼネラル・パートナー(共同経営者)に就任。1999年、ソニー株式会社との共同出資で株式会社マネックス(現マネックス証券株式会社)を設立。2004年にはマネックス・ビーンズ・ホールディングス株式会社(現マネックスグループ株式会社)を設立し、以来2023年6月までCEOを務め、現在代表執行役会長。株式会社東京証券取引所の社外取締役を2008年から2013年まで務めたほか、数社の上場企業の社外取締役を歴任。現在、米マスターカードの社外取締役、Human Rights Watchの国際理事会副会長、国際文化会館の評議員も務める。