「Coincheck」の提供を開始してから半年ほど経った頃、私たちは一度立ち止まり、事業の数字を振り返ることにしました。

Coincheckの月間取引高はすでに1億円を超え、ユーザー数も急増していました。ビットコイン取引ができるサービスは既に複数の競合が提供しており、私たちはこの分野への最後発の参入者。収益化よりもユーザー数と取引量の拡大を最優先し、取引手数料は無料としていました。

数字の上では、事業は順調に成長しているように見えました。しかし銀行口座の残高は、月を追うごとに減っていきました。

2015年、いよいよ資金調達に動き出します。今でこそ、日本には数多くのベンチャーキャピタルが存在しますが、当時はまだその数も限られていました。加えて、暗号資産に対する世間の目は厳しく、Coincheckを運営している私たちのようなスタートアップには、特に冷たい時代でした。

何より、私たちにはベンチャーキャピタルとのつながりがまったくありませんでした。知り合いの起業家に紹介してもらいながら、手当たり次第、50社以上に事業説明を行いました。しかし、ベンチャーキャピタルから返ってくるのは冷ややかな反応ばかりでした。「ビットコイン?ああ、あの詐欺のやつね」「マウントなんとかの社長が逮捕されたやつだろ?」 当時、何度聞いたか分からない言葉です。

スタートアップのピッチイベントに申し込んでも、「怪しいから」と登壇さえ認めてもらえませんでした。 たまに興味を持ってもらえたとしても、「金融の経験がない君たちには無理だよ」と一蹴されることがほとんどでした。

そんな中、ある事業会社が出資を前向きに検討してくれることになりました。副社長がCTOを兼ねており、テクノロジーに明るい方だったこともあって、私たちはようやく希望の光が見えた気がしました。数度にわたって打ち合わせを重ね、次回のミーティングで結論が出るというところまで来ていました。 ところが、そこから音沙汰がなくなります。次の予定がなかなか決まらない。嫌な予感が募りました。

そして、数週間後。「今回は出資を見送らせていただきたい」 一通のメールが届きました。

資金調達をあてにしていた私たちは、しばらく言葉を失いました。今振り返れば、プランBを用意しておくべきだったのかもしれません。けれども、当時の私たちは若く、未熟で、他の選択肢を持てていなかったのです。

資金調達が完了するまでの間、和田と私の給与をゼロにすることを決めました。しかし、それだけで持ちこたえられる状況ではありませんでした。運転資金を借りる必要がありましたが、当時、実績のないスタートアップに融資をする銀行はほとんどありませんでした。ましてや、事業内容が「ビットコイン」となると、なおさらです。

「大塚さん、誰かにお金借りられませんかね」ある日、和田がぽつりとつぶやきました。たしかに、学生だった和田には信頼できる信用基盤がありませんでした。私が何とかするしかない──そう覚悟を決めました。

私は、これまで築いてきた人間関係と信用を頼りに、知人に頭を下げました。そして、なんとか3,000万円の借り入れに成功します。その資金で、しばらくをしのぐことができました。しかし、知人から数千万円を借りているという事実は、胃が痛くなるような重圧としてのしかかってきます。一刻も早く、この状態を抜け出さなければならない。プレッシャーは日々増し、私はどんどん追い詰められていきました。

数ヶ月後、ようやく光が差し込みます。既存のベンチャーキャピタルと、もう1社の事業会社が出資を決めてくれたのです。ようやく、肩の荷がひとつ下りました。

振り返ると、和田も私も、資金調達が得意なタイプではありませんでした。未来を大きく語って、高いバリュエーションで資金を集めることよりも、目の前のユーザーと向き合い、プロダクトを磨き、事業を育てる—— その方がずっと性に合っていました。

そして結果的に、Coincheckが行った資金調達は、このときが最後になりました。