東京の地名には、江戸時代の名残を残すものが多くあります。私は一時古地図を見るのに凝った時期があったのですが、中々面白いものです。東京のど真ん中、赤坂の近くに紀尾井坂という地名がありますが、これは紀伊、尾張、井伊の三家がその地にあったので、その間にあった坂の呼称です。弊社のある神田錦町は、あの慶喜で有名な御三卿一ツ橋家の向かいですが、江戸時代は幕府軍の兵倉や訓練場があった所のようで、地面の区画もおおざっぱで町家のあった趣もなく、殺風景な所です。一ツ橋という地名はかろうじて残っていますが、かつてはそこにあった一橋大学も今はなく、その同窓生のための如水会館があるだけです。昔そこに何があったかに思いを馳せると、中々趣きがあるものです。