長年、当社を気にかけてくださっている人生の大先輩がいます。その方は、「マネックスのみんなのつぶやき」を毎日読んでくださっているそうです。昨日、「清明さんの小さい頃の話も書いてよ!」と言われたので、さっそく書いてみることにしました。

私は4,000グラム超のいわゆる「巨大児」として生まれ、周囲から「ジャンボちゃん」と呼ばれていたそうです(笑)。物心ついた頃には「ゆうちゃん」に落ち着いていましたが、もし「ジャンボちゃん」のままだったら、私の性格や人生は少し違っていたのかもしれません。

そんな私は、弟の誕生を機に母方の祖父母の家に預けられ、それ以来、一人でお泊まりするほど大好きな場所になりました。そこは大阪南の中心地「なんば(難波)」。家の前をお笑いタレントのチャーリー浜さんが真面目な顔で歩いていたのを見たときは、妙に感動したのを覚えています。そんなカオスなミナミの街が好きで、高校時代には実家ではなく祖父母の家から通っていたほどです。

個人タクシーの運転手だった祖父は、よく「ゆうこ!新世界に天ぷら(衣天ぷらではなく、さつま揚げのような練り天ぷら)買いに行くで!」と誘い、自転車を走らせました。私は後ろに乗るのですが、たびたび転倒……。それでも「新世界行くで!」のひと言で、懲りずにまた乗る。こうして私は、「自転車の後ろに乗ってこけたときの受け身」を身につけました(笑)。そんな祖父は、孫のカラオケ好きに合わせてタクシーにマイクと音源を搭載してくれるような粋な人でした。難波から実家に送ってもらう道中、車の中でずっと歌わせてくれた祖父母。二人が喜ぶのが嬉しくて、勉強も運動も頑張るようになりました。

祖父は戦時中、パプア・ニューギニアで負傷しながらも生還した人です。戦後、ある事業を始め、途中まではうまくいっていたものの、資金繰り等の問題で店をたたみ、タクシー運転手に転身したのです。メーターが回れば確実に収入が得られる仕事でしたが、優しさゆえに現金を持たない人も乗せてしまい、よく祖母に怒られていました。遠くまで配車した結果、運賃の代わりに信楽焼のたぬきをもらって帰ってきたこともありました。そして、「ええもんもらったで!」と満面の笑みで言える祖父の姿が、私は子どもながらに格好良いと思っていました。

人の幸せは、笑いの数と比例する。私が心からそう思う原点の一つは、祖父母との時間だったのかもしれません。さて今日は、冒頭で話した人生の大先輩とのお食事会。これまで何度も議論を交わし、多くの学びをいただいた方の、新たな門出を祝う会です。これからも、大切な気づきを与えてくれるSさんとの時間を大事にするとともに、腹から笑う時間を楽しみたいと思います。