海外出張を終え、夜行便で本日早朝に帰国しました。案の定、睡眠スコアは低かったです。移動は疲れますが、それを差し引いても得られるものが多いので、私はいつも動き回っています。今回も、「ツキが回ってきているかも?!」と感じることができた出張でした。

振り返ると、自分の人生はとことん運に恵まれてきたように感じます。例えば、物をなくしても、「神様、仏様、おじいちゃん、おばあちゃん、お願い!」と祈ると不思議と見つかったり(笑)、突然サポーターが現れて仕事がうまく進んだり、一つのことが終わるまで新たな課題が待っていてくれたり。また、私は、いわゆる「リーマン・ショック」の混乱の中で転職を余儀なくされましたが、たまたまジョインした当社グループで多くの機会に恵まれました。何度も「ああ、ツイてるな」と思うことがあり、運に助けられてきた人生には感謝の気持ちが尽きません。

とはいえ、ただ運が良かっただけではないとも感じています。そう感じられる要因として、自分の特性である「忘れられる力」(以前、このタイトルでつぶやきました)と「執念」が大きいです。私は、嫌な気持ちや嫌だった経験をうまく記憶の外に追いやり、「自分って運が良いかも?!」というポジティブな記憶を心に刻む傾向があります。また、自分が定めたゴールに対しては、納得するまで執念深く追い続けます。この二つの特性が組み合わさって、結果として失敗に終わることが少なくなっているのではないでしょうか。

実際、執念深く数を打ち続けることで、確率論的にも成功が訪れることがあります。その過程で、「運」が味方してくれる瞬間をつかめるのです。今回の出張では、「あれ?良い方向に進みそう!」と感じる場面があったのですが、出張中に舞い込んできた、出張の目的とは直接関係ない思いがけない朗報も、希望を捨てずに長く頑張った結果として訪れたものだと思います。執念深く取り組みつつも、ガツガツしすぎず、信念を持ち、自分を信じ、仲間を信じて前進し続けることで、自然と「運」が巡ってきてくれるのだと思います。

運はただ待っているものではなく、粘り強さや信念によって引き寄せるものだと思います。神様・仏様は、「執念の力」に吸い寄せられているのかもしれませんね。