大河ドラマ「光る君へ」が始まりました。SNSでは京都が舞台なのに演者が京都弁じゃないことにがっかりという意見もあるようですが、平安時代の京都の口語を正確に再現すれば字幕が必要になるとして、潔く標準語でドラマを進めるのが正解だという意見もあります。
それとは別に、京都出身でない俳優陣に正しい京都弁で演じてもらうことにも高いハードルがあるのでは…。福島出身の私は正確な京都弁を知らないので、方言指導をマスターした俳優陣が全編を京都弁で演じたとしても違和感を覚えることなく楽しめると思うのですが、おそらく本場京都の方が許すまい。というのも、2013年の大河ドラマ「八重の桜」は、全編会津弁で演じられた意欲的作品だったのですが、私は本場の訛り、方言を知っているだけに、どうしても役者陣の自然でない会津弁に馴染めずに最後まで見ることが出来なかったということがありました。些細なことのようですが、自然でない台詞回しは見る側にとってストレスになるのだな、と感じた次第。しかし、2018年の「西郷どん(せごどん)」の難解な薩摩弁は最後まで楽しめました。これは私が正しい薩摩弁を知らないからでもありますね。
私はアナウンサーとなるにあたって福島の訛り(イントネーション)を標準語に矯正するのにかなりの労力と時間を要しましたが、実家の両親と電話で話す際には瞬時に福島弁に戻ります。育ってきた言葉で話す方が落ち着くものなのです。方言が淘汰され日本の言葉が標準語に集約されてしまうことには寂しさも覚えますね。というわけで、「光る君へ」を京都弁で見たかったという意見もわからないでもないのですが、紫式部の生涯を通じ平安宮廷の表と裏が描かれるとあって今後の展開を大いに楽しみにしています。